【会報】ハーネスながの第15号


ハーネスながの 2003年 9月 第15号
発行:長野県ハーネスの会 会長 原 哲夫
〒390-0304 松本市大村492-3  TEL・FAX(0263)46-9611 
第15号目次
《お知らせ》 『ハーネスの会創立5周年記念講演会開催のお知らせ』
《反 響》 『アンケート調査報告をマスコミ各紙が取り上げる』
《事 件》 『歩行中に放し犬に噛まれる』
《コメンタリー 7》 『使用者、育成施設、行政は何をすべきか』
《連載 ベストパートナー2》 『盲導犬がくるまで』 (2)
《盲導犬ミニ知識3》 『盲導犬の歴史』(長野県編)
《けん犬だより》 『突然の解散に驚き!』
《デビュー》 『オッティーとプーマ』
《レクイエム》 『エミーの訃報』
《引退犬ボランティア》 『さようなら、エイミー』
《ボイス》 『会員の皆さまから寄せられたお便り』
《事務局》 『年会費納入のお願い』
《編集後記》
《お知らせ》
『ハーネスの会創立5周年記念講演会開催のお知らせ』
日頃は会の活動に賛同して頂き、様々な所でお力添えを頂きまして、ありがとうございます。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
今年は、ハーネスの会が誕生して5年目になります。これを機会に下記のように講演会を開催致します。講演会は、長野県視覚障害者福祉協会、松本視覚障害者福祉協会、松本市、ぴあねっと21の後援を頂き、長野県ハーネスの会が主催致します。
講師は上田点字図書館館長を務められました内藤礼治先生で、盲導犬使用と視覚障害者の自立の歩みをテーマにお話しいただく予定です。
昨年10月に身体障害者補助犬法が施行され、社会の環境も変わりつつあります。
そこで、今までの歩みを振り返りながら、これからの展望を考える機会としたいと思います。是非お出かけくださいますようご案内申し上げます。
講演会実行委員 前野弘美
 記
「長野県ハーネスの会発足5周年および松本市盲導犬使用者10人目誕生記念講演会」
1.日時:平成15年10月5日(日)午後1時~4時
2.場所:長野県視覚障害者福祉センター
  松本市旭2-11-35  電話: (0263)32-5632
3.日程
受付   12:30~
開会式 13:00~13:20
講演会 13:20~15:20
演題 「盲導犬給付事業はこのようにして始まった」
講師 元上田市立上田点字図書館館長  内藤 礼治 先生
懇談会 15:20~15:50
閉会式 15:50~16:00
※講演会の当日、会場準備や駐車場整理などのお手伝いをしていただける方を募集しています。お手伝いいただける方は、事務局までご連絡下さい。
《反 響》
『アンケート調査報告をマスコミ各紙が取り上げる』
事務局
本会では昨年8月に実施した「盲導犬使用実態調査」の結果を、この6月に「長野県の盲導犬使用の現状」という冊子にまとめて発表しました。全ての会員の皆さんを始め、市町村や県の行政担当機関、盲導犬育成施設、更に県内の主だった報道機関にも送りました。そして、報道各社からの取材が相次ぎ、多くのメディアが取り上げてくれました。6月には、タウン情報(中信地区)、市民タイムス紙(中信地区)、信濃毎日新聞で報じられ、7月には朝日新聞(長野県版)、NHK(県内ニュース)に取り上げられました。また、8月17日(日)には、信濃毎日の1面コラム欄『斜面』でも記事になっていました。本会の記事がコラムで扱われたことは初めてです。以下に転載します。
『斜面』
混雑する広場を愛犬連れの行楽客が何人も行き交う。盆休みの昼時、高速道路のサービスエリアでの光景だ。鳴き声がにぎやかに響く。ペットと一緒の旅行者がずいぶん増えたのを間近にした。◆それだけ宿泊施設の受け入れが広がっているのだろう。片時も離れたくない飼い主にすれば、サービス面の拡充は心強い。比べて盲導犬をはじめ、身体障害者の歩行や身の回りを支える補助犬はどうか。ペットとしては一線を画し法的にも認められた存在ながら、まだ十分とは言いがたい。◆例えば長野県ハーネスの会が、盲導犬を使っている会員に実情を尋ねた。理解されつつある反面、飲食店、旅館・ホテルなどで盲導犬の同伴を拒まれた経験が少なくない。一般市民が無断で触ったり、注意を引く動作をすることもある。たとえ犬の活躍に感心しても、これでは戸惑いを与えるばかりだ。◆出入りを断られる理由で多いのが、衛生面の不安や周囲への迷惑だという。ハーネスの会は「医療機関の多くが認めているのに」と困惑する。確かに食べ物を扱う店などは神経を使う。とはいえ犬たちの何げない行動の裏に、厳しい訓練と体調管理があることを想像してみるのも大切だ。◆身障者補助犬法はこの十月から、大勢のお客が来る民間施設も入場を拒否できないと規定している。法はあっても人々が心の壁を低くする意識改革が伴わなくては前進しづらい。パラリンピック開催地である長野県でこそ、モデル的な取り組みを進めたい。
信濃毎日新聞(平成15年8月17日掲載)
《事 件》
『歩行中に放し犬に噛まれる』
パートナーとともに会社から帰宅中の盲導犬使用者が、歩行中に放し飼いされていた家庭犬に足のふくろはぎを噛まれるというトラブルに巻き込まれました。
 去る8月6日(水)午後5時15分頃のことです。明科町のJR篠ノ井線田沢駅に通じる住宅街の路上を盲導犬と共に歩いていた女性使用者のAさんが、近くの家の飼い犬にからまれふくらはぎを噛まれました。その犬はそのまま逃げ去り、飼い主らしき人も分かりませんでした。Aさんは以前にも、この付近で放し飼いの犬に追いかけられるという経験をしていました。 Aさんは帰宅して松本署に連絡。警察の担当者が調べた結果、その犬の飼い主が判りました。翌日、加害者側の飼い主が正式にAさんに対して謝罪して、この事件は一応の解決を見ました。Aさんは履いていた靴下が犬の歯で咬み切られていたものの大きなけがにはなりませんでした。
 このように盲導犬と使用者が歩行中に放し犬に襲われた場合の犬に与える影響について、日本盲導犬協会(横浜市)の中村透訓練部長は次のように話しています。
過去に盲導犬が襲われたということも時々ありました。その後、外出のたびに飼い犬に警戒行動をとるようになることもあります。こうなると仕事に集中できず、ユーザーが安心して外出できません。法律では犬を放してはいけないことになっています。「自分の犬に限って・・・」という思いは捨てて、公共の場所では放し飼いは絶対にやめていただきたいものです。
《コメンタリー 7》
『使用者、育成施設、行政は何をすべきか』
佐野短期大学社会福祉学科 教授  日比野 清
本号では日比野教授に盲導犬使用に関わる諸問題について1問1答形式で考えを聞かせていただきました。
 日比野教授は現職に就かれる前、長年に渡り日本ライトハウス視覚障害者リハビリテーションセンター所長をされていました。また、ご自身も盲導犬を使用された経験があります。尚、このコメンタリーは2001年3月のインタビューの記録ですが、本人の承諾
を得て本号に掲載させていただきました。
(1)「盲導犬ユーザーは社会との関係でどんな問題を抱えていると思われますか?」  -ユーザーが抱えている問題点について-
盲導犬に対する理解不足。未だにスーパーマーケットやレストランなど、入店拒否がありますが、これをどのようになくしていくのか?トイレの問題として、近隣住民から匂いや衛生上の問題としてクレームがつけられないか、何時も心配していますし、近所のペットや放浪犬などとのトラブルがおこりはしないかと、何時も心配しています。旅行などへ行く時に、トラブルがおきないか、常に心配になります。(旅館・ホテルも含む)
(2)「行政は盲導犬普及のために何をすべきだと思いますか?」
自治体に対する要望としては、毎年何頭の盲導犬しか貸与しないとか、どこの訓練施設に行って共同訓練を受けろとかいうような制限を全て撤廃してもらうことだと思います。基本的には行政に盲導犬給付後のアフターケアーをやれと言っても無理だと思います。従って、原則的にはPL法と同じで、メーカー、すなわち盲導犬訓練施設が全てのアフターケアーをやるべきだと思います。
(3)「盲導犬使用に要する維持管理費についてどのように考えたらよいでしょうか?」
貸与された盲導犬がイレギュラーな病気などで、しばしば通院が必要な時などは、一体それを誰が負担するのかが問題になることが多くあります。(私は個体差の問題であるならば、全て育成盲導犬施設の負担にするのが良いと思います。狂犬病・ジステンバー・パルボなどの定期的な予防注射の費用についてだけであれば、自治体負担にしても良いのかも知れません。(私の考えの中に、通常の経費はユーザー負担が原則と思っていますので、個人的にはユーザー負担が望ましいと考えています。)したがって、餌代は当然ユーザー負担が望ましいと思います。
(4)「盲動犬訓練施設は今後どうあるべきだと思いますか?」
共同訓練の形態などについては、もっとユーザー・グループから盲導犬施設に対して要望をだした方がよいと思います。たとえば、代替犬取得の共同訓練を短縮させるとか(すでに短くしている所も多くありますが。)、デリバリー訓練をしろとか(盲導犬取得のために1か月間ないしは半月間施設に入所するのが困難な視覚障害者も多いはずです。)していかないと、いっこうに盲導犬が普及・発展していかないと思います。将来はもっともっとユーザーの力が強くなっていくし、それで良いと思います。ただし、視覚障害者自身自分でやるべきことはきちんとやり、不当な要求をしてはならないのです。そうしていかないと、いつになっても晴眼者と視覚障害者の対等な統合はありえないでしょうし、真の社会参加もありえないでしょう。
(5)「盲導犬が更に普及するためにどんなことが必要でしょうか?」
盲導犬を使用する際のマナーや一定のルールを全国レベルで作成し、一般の人々や店舗などへの啓発活動の時に周知させていく。どうも視覚障害者の方もわがままになってしまう時もあるように思えてならない。このマナーやルールを違反したユーザーが、たとえ入店拒否にあってもしかたがないと言えるようにしないと、本当の理解が得られないのではないか? 特に、視覚障害者の多くいる中での盲導犬使用は非常に難しい。 (インタビュー: 原 哲夫)
※近著には日比野清さんの監修による、「盲導犬・聴導犬・介護犬訓練士まるごとガイド(ミネルバ書房 1500円)」がある。
《連載 ベストパートナー》
『盲導犬がくるまで』
岡谷市 北沢とも江
私が最初にしたことは、白い杖を使って歩くことと、点字を覚えることでした。
点字は少し前から友達に教えてもらって、50音の読み書きができる程度でした。
読み書きといっても、指先の感覚で点を読むなどはまだできません。電気の明かりにかざすと、白い点字紙に凸文字の点字が浮き出てきます。まだそのころ(5年前)には、その点が見えていましたが、それもすぐ見えなくなりました。市役所に申請して、県の「中途失明者緊急生活訓練」を受けることにしました。県から委託をされた専門の指導員が自宅まで来てくれました。約8か月間、指導の先生が松本から週に1~2回訪ねて下さいました。
まず指先の感覚を鍛えなければなりません。細かいビーズの穴にゴムを通すことから始めました。目で見れば簡単なことでも、指先で1ミリの穴を探すのは根気のいることでした。
点字も外国語と同じことでした。文字を取り戻したい。それができなければ、これから一生、人に聞くしかないのです。わずかなプライバシーさえ確保できないのは悔しいです。指に血豆ができ、あごが張り、腱鞘炎になっても点字は覚えたいと思っていましたから、本当に辛抱しました。
また、辛かったのは白い杖の歩行訓練でした。せめて近所に回覧板くらい持って行かなくては…。そうは思っても、白い杖を使って歩く姿を見られるのは、とても恥ずかしい気持ちでした。
ある日、電車に乗って、茅野市に住んでいる友人に会いに行きました。30年来の友ですが、私を見てどう対応するのかが少し心配でした。駅の改札口にいた彼女は、案外あっさりと今までと変わらぬ対応をしてくれ、私たちはレストランへ行きました。彼女は要領よくメニューの説明をし、私は注文を済ませました。
「ちょっと心配だったけれど、ほっとしたわ。めそめそされるかと思った。」
私がそう言うと、少し間を置いて彼女が答えました。
「でもね。あなたが歩いてくるのを見た時、涙があふれそうになったわ。だけどこうしてまた会えることを喜びこそすれ、涙なんか出したらあなたに失礼だと思ったのよ。」
その言葉を聞いたとたん、私は自分が恥ずかしくなりました。私の周りの人たちの方が、ありのままの私を受け止めようと努力してくれていることに、やっと気がつきました。
幸せも不幸せも人に伝染するのです。同じ伝染するのであれば、幸せな気持ちを伝染させたい。これからはそう考えながら生きていかなくては、つまらないではありませんか。
《盲導犬ミニ知識 3》
『盲導犬の歴史』 長野県編〈第1号は34年前〉
本欄ではこれまで2回に渡って、世界と日本国内の盲導犬の歴史についてのミニ知識をお伝えしました。今回はいよいよ我が故郷の長野県内についてです。
1969年に諏訪市の伊藤千春さん(男性、故人)が長野県内で最初の盲導犬使用者となりました。犬はベルという名前のシェパードでした。この当時は今とは盲導犬育成の方法は大きく異なり、伊藤さんは、家庭犬を約1年間ほど東京の訓練所に預けて盲導犬に仕立てたそうです。
翌年の70年には下諏訪町の小林礼子さんが使用者に加わりました。この年から盲導犬育成の方式が大きく変わり、東京盲導犬協会(現 アイメイト協会)は犬の繁殖から基本訓練と使用者との共同訓練までを一貫して行うようになりました。小林さんはその1期生として訓練を受け、ジャーマンシェパードのファーマーと歩き始めました。それ以後、小林さんは一昨年(2001年)までの31年間に4頭の盲導犬とパートナーを組んで来ました。2頭目からは犬種がラブラドールに替わったそうです。
70年代始めのころは盲導犬は大変珍しく、小林さんらは県内のバス会社やタクシー会社に同伴しての乗車を認めてくれるように何回も陳情に足を運んだとのことです。当時の盲導犬を取りまく社会には、それらを受け入れるための施策や指針は皆無で、国鉄(現JR)を利用する場合も駅や駅員さんによって対応が異なり、乗換駅ごとにチェックを受けたり、呼び止められるような体験も度々されたようです。
《けん犬だより》
『突然の解散に驚き!』
コート製作グループケン犬  代表 清水純子
昨年十二月に、京都の「介助犬をそだてる会」から依頼を受け、介助犬のコートも作るようになりました。と、次号の会報で報告しようと思っていました。
ところが、出来あがったコートを送ってから、わずか一ヶ月後に、「会を解散することになりました。」と言うお便りをいただいたのです。原因は、代表の会社の倒産でした。
雪の降る寒い中、連日のように、街頭で募金活動をしている事は聞いていたのですが、そこまで切羽詰っているとは知らず、突然の報告に何とも言えないやりきれなさを感じました。
それ以来、介助犬のコートは作っていないのですが、この会でトレーナーをしていた女性から、時折、手紙が届きます。つい先日も残暑見舞いをいただき、点字の勉強を再開させたことなど、前向きに頑張っている様子が伝わってきました。まだまだ若い彼女のことです。また、いつかトレーナーとして現場に立ち、介助犬を心待ちにしている方々のために、その意欲と才能をめいっぱい発揮できる日が来ると信じています。そして、その時には、今まで以上にユーザーさんやトレーナーさんの声に答えられるよう心を込めて、コートを作りたいと思っています。
《デビュー》
『私の体験』
8月に新しい第1歩を踏み出した盲導犬使用者とそのパートナーが2組います。
何れも松本市在住です。紹介します。
その1 『滝沢勝男さんとオッティー』
松本盲学校に勤める滝沢勝男さん(松本市双葉町)は、徐々に視力が低下し、数年前からはほとんど視力を失いました。8月中旬に初めて、盲導犬使用者としての第1歩を踏み出しました。
パートナーの名前はオッティー(Otty)で、ゴールデンリトリーバーのオス、2才。
体重は29㎏、体毛全体はイエローですが、胸と尾の部分は少し白っぽくなっているそうです。オッティーは2001年7月3日に大阪の訓練所で生まれました。生後40日を過ぎたころから約1年間、堺市の家庭でのパピー(子犬)生活を経て、以後は盲導犬候補犬として横浜市にある日本盲導犬協会で本格的な訓練を続けました。
滝沢さんの共同訓練では、先ず7月27日から2週間、仙台市にある同訓練センターでのオッティーとの基本的な歩行訓練と松本での10日間の現地訓練が行われました。滝沢さんの通勤コースは双葉町の自宅から約15分の徒歩、JR南松本駅と松本駅間の電車利用、松本駅前から学校近くのバス停までのバス利用から成っています。初心者にとっては緊張し注意を要する場所も多いのです。オッティーも今のところとても慎重にゆっくり歩いているようです。
滝沢さんは、これまで奥さんの運転する自家用車で通勤していました。「盲導犬歩行がこんなに疲れるとは思ってもみなかった。」と話す一方、「朝夕の新鮮な空気とそよ風を肌で感じながら歩ける心地よさを久しぶりに取り戻したような気がする。」とも語ってくれました。
その2 『原哲夫さんとプーマ』
松本市大村の原哲夫さんは8月14日から2頭目の盲導犬と歩き始めました。パートナーの名前はプーマ(Puma)で、ラブラドールの雄、2才です。体重は28㎏、体毛はイエローで顔の鼻筋あたりがやや茶色がかっているそうで、頭の大きさに比べて耳たぶがいやに大きいのが特徴です。プーマは2001年8月27日に大阪の日本ライトハウス行動訓練所で生まれ、同じ兄弟姉妹にはフィリップ、 パトリシア、ピンキー、プラン、パールがおり、それらの中にはソウルの盲導犬訓練所で訓練を受けて、盲導犬として韓国で仕事をしている兄弟もいるそうです。
原さんとの共同訓練は、大阪府富田林市での歩行訓練が5日間、更に松本市での現地訓練が4日間でした。
原さんの通勤コースは全て徒歩。自宅から勤め先の松本盲学校までは、片道2㎞。
既にプーマも歩行コースにはすっかり慣れ、自信に満ちた案内をしているようです。
プーマについて原さんは、「歩き方はとても几帳面で命令にも忠実だが、ハーネスを外すと一変してやんちゃになり、盲導犬としての自覚がなくなってしまう。でもこのプーマとまともに付き合えるのは私ぐらいしかいないでしょう。」と2頭目盲導犬使用者としての自信と貫禄を見せていました。
その3 『オッティーとプーマの裏話』
オッティーは横浜市にある日本盲導犬協会出身。一方、プーマは大阪府富田林市郊外にある日本ライトハウス行動訓練所出身の盲導犬です。それぞれゴールデンとラブラドールで犬種も異なります。ところが、この2頭、実は幼な馴染みだったのです。というのも、2頭は大阪の日本ライトハウス行動訓練所で約2カ月違いで生まれたのです。オッティーは生後間もなく堺市のパピーウォーカーの家庭で育てられるようになりました。1年後にパピーウォーカーから訓練所に帰ってから横浜の日本盲導犬協会に引き取られ、盲導犬としての本格的な訓練が施されました。プーマも行動訓練所で生まれ、河内長野市のパピーウォーカーの家庭で人間社会での最初の生活を経験した後、再び行動訓練所に戻りました。
2頭の犬がそれぞれパピーウォーカーの家庭から訓練所に戻った僅かな期間ですが、オッティーとプーマは同じ犬舎や屋外の遊び場で一緒にじゃれ合ったり走り回っていたそうです。
オッティーは大阪生まれの横浜育ち、プーマは丸ごとの大阪もん。そして奇遇にも、松本で再会し同じ職場に通勤することになったのです。専門家は、「犬は前に生活した相手の犬の匂いは必ず覚えているからお互いに知っているはず。」と言いますが、お互いに吠え合ったり鼻を鳴らしたりしてコミュニケーションを取り合うようなことは決してしていません。オッティーはなかなかのハンサムとの評判。僅かながら兄貴分のオッティーは、おっとり構えていますが、プーマはうれしいときには尻尾をぶんぶん回して反応する愛嬌者です。
オッティー君、プーマ君、盲導犬は顔や愛嬌じゃないよ。人前では品よく賢く振る舞うんだよ!
《レクイエム》
『エミーの訃報』
御代田町の山本美津子さん宅で飼育されていた引退犬のエミーは、去る6月16日午前6時ごろ、老衰のため死亡しました。満15才10カ月でした。エミーは雌でイエローのラブラドール。
山本さんは昨年10月、中部盲導犬協会から引退犬として飼育を依頼されました。
エミーは12才まで愛知県内のユーザーのもとで盲導犬として仕事をしていました。その後、2年間はそのままユーザーの家庭で引退後の生活を送っていました。
しかし、ユーザーがエミーの世話ができなくなり、14才で出身の中部盲導犬協会に戻り、そこで更に1年過ごしました。仕事から離れた3年間に、かなり痴呆が進行したようです。
15才の誕生日を迎えた後の昨年10月から、御代田町の山本さんの家庭に引き取られて余生を送っていました。エミーご苦労さま、そしてありがとう。
《引退犬ボランティア》
『さようなら、エミー』
御代田町 山本美津子
ハーネスの会の皆様
先日は引退犬エミーに過分な御香典をいただきまして、心より御礼申し上げます。
エミーは8月の誕生日を前にして、15才で老衰のため天国へと旅立ちました。
我が家へ来てわずか8ヵ月と3日、何と早い別れだったのでしょう。なかなかペンをとる気になれず、御手紙遅れてしまいました。
エミーは、前回お知らせしました様に、我が家へ来た時はボケ症状がすでにありましたが、抱きしめてあげ、撫でてあげ、ふれあっていくうちに顔が明るくなり、時々ウンチは落としてしまいましたが、オシッコの粗相はまったくなく、徘徊もなく、目にみえてよくなっていく事が日々感じられ、とてもうれしく励みになりました。エミーが来てから片時も離れる事なくいっしょにいました。
遠くへ出掛けることはありませんでしたが、公園へはほとんど毎日行き散歩と日光浴を楽しみました。雪が降ってからもそんな生活は続きました。そんなエミーの体調が変わったのは、5月に入ってからでした。時々食欲がなく手作りの食事、処方の栄養剤、栄養食を食べさせてあげました。6月に入り増々食欲が落ち、体に負担のかからない注射もしていただいたりしましたが、8日より寝たきり状態になり栄養剤、栄養食を抱いて手で口の中に入れ舌を動かしてあげ喉の奥へと入る様に少しずつ時間をかけてあげました。それも受け付けなくなり水だけはと思い、スポイトで何回にも分けて口にふくませました。排泄も介添えをして出してあげました。
そんな状態で眠り続けるエミーでしたが、声をかけたりさすったりしてあげると、静かですが尻尾を振ってくれました。話しかけながらさすってあげる事しか出来ない事がせつなく、涙があふれ泣きながらさする事もありました。
16日朝5時50分、私の腕の中で深く息をし、本当に静かに眠る様に亡くなりました。静かな最後でした。
エミーとの生活はとても楽しい毎日でした。夜、外へ出てみたいと鳴き、(私にはそう思えたのです)寒い中、何度も何度も家の中と外を行ったり来たり、そんなわがままを言ったりした事も、かわいくて楽しくて私にはうれしい事でした。
私がこんなに楽しかったのですから、エミーもきっと楽しい毎日だったと思います。
エミーとの生活は短いものでしたが、やはりエミーの存在は、家族にとってとても大きかったのです。エミーの出棺の時、いっしょに生活していた犬が後を追って鳴き、辛く悲しみは深いものでした。
エミーはジェミーが眠るサーブの碑に納骨させていただこうと思っています。
エミー、ご苦労様でした。 そして大きな愛をありがとう。
安らかに眠って下さい。
《ボイス》
『会員の皆様から寄せられたお便り』
2003年5月から9月までに、ハーネスの会会員の皆様から事務局に寄せられた、嬉しいお便りの数々をご紹介いたします。
☆ユール,サリー、ネリー、フロスィティー4頭の御冥福をお祈り致します。
(長野市:多田さん)
☆加藤久美さんとは10年以上のおつきあいです。彼女が一頭目の盲導犬・キュートと生活をはじめた頃のにがい思いを長野市が管理している施設で又味わうとは…とても悲しい思いで「私の体験」を読みました。
県の公共性の高い場所であれば、ハーネスの会としても理解していただける様、努力していただければと願っています。
(東村山市:古田さん)
☆会がますます御発展されますよう願っております。
(松本市:三村さん)
☆いつも応援しています。本当にご苦労様です。
(南安安曇村:奥原さん)
☆いつも気持ちばかりですみません。遠くから見守っています。頑張って下さい。
(塩尻市:宮坂さん)
☆『ハーネスながの』会報ありがとうございました。いつも楽しみに待っています。私の敬愛する盲導犬の様子や皆様のがんばっていらっしゃるのが伝わってきまして心が洗われる様です。盲導犬に対しての理解が大分進歩しましたが、まだまだの状況には腹立たしさも感じられます。どうぞ、愛する素晴らしい盲導犬と一緒にがんばって下さい。
引退犬のユール、サリー、ネリー、フロスィティー心からおくやみ申し上げます。長い事、御苦労様でした。
(松本市:市橋さん)
☆サリーへ御供を頂戴いたしまして誠にありがとうございました。サリーから後輩の盲導犬の皆様への志をお送り申し上げます。御活躍をお祈り申し上げます。
(茅野市:近藤さん)
☆今年の3月、テレビで上田の清水さんが、リタイヤー犬を引き取り一緒に生活している姿を見ました。それぞれ老犬で大変だと思います。悲しい出来事や恐ろしいニュースばかりの中、とても心温まる思いがしました。お体に気をつけ頑張って下さい。
(上田市 横関さん)
《事務局》
『年会費未納の方はお振り込みをお願いします』
2003(平成15)年度の会費をご納入いただきましてありがとうございます。
9月15日現在で、未納になっている会員の方には、再度、郵便振込用紙を同封させていただきました。できるだけ早くご納入いただければ幸いです。
尚、もし既にご納入いただいた方に振込用紙が同封されているような場合には、電話またはファックス、電子メール等で事務局までご連絡下さい。また、そのような手違いがありましたら、どうぞお許し下さい。年会費は、2000円です。
ご不明な点がありましたら、下記へご連絡を。
(連絡先) 事務局
電話(ファックス): 0263-46-9611
《編集後記》
6万年ぶりの大接近で話題を呼んだ火星。先日の中秋の名月には、丸い大きな月に仲良く寄り添うようにして赤く輝く火星を見ることが出来ました。
今年は、雨の多いお盆休みが過ぎたとたん、「夏」が舞い戻りドッカリ居座っています。9月に入っても、昼間の最高気温が30度を超える日が続くこの異常気象に、体も悲鳴をあげているようです。皆さまも、くれぐれもお身体、ご自愛下さい。
さて、本号でもお知らせしたとおり、この夏には、2頭の盲導犬がデビューし、これで松本市の盲導犬使用者は、記念すべき10名となりました。今後の活動の励みになるような出来事でした。
(編集係 原)

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