ハーネスながの 2004年 3月 第16号
発行:長野県ハーネスの会 会長 原 哲夫
〒390-0304 松本市大村492-3 TEL・FAX(0263)46-9611
第16号 目次
《清水純子さん転居のお知らせ》
《特 集》 『ハーネスの会創立5周年記念講演会報告』
《コメンタリー 8》 『地域の活動に期待』
《国内ニュース》 『日本で初の盲導犬訓練士学校が開校』
《連載 ベストパートナー2》 『盲導犬がくるまで』(3)
《事務局》 『本年度の盲導犬・引退犬健康管理費助成』 『ご寄付のご紹介とお礼』
《お知らせ》 『2004年度 長野県ハーネスの会総会のお知らせ』
《編集後記》
《清水純子さん転居のお知らせ》
盲導犬コート縫製グループケン犬の代表者の清水さんが、この度埴科郡坂城町に転居されました。
《特集》
『ハーネスの会創立5周年記念講演会報告』
『 盲導犬普及事業に協力を! 講演会で内藤氏力説』
長野県から東京や大阪の盲導犬訓練所に行った訓練生は、他県からの訓練生より早く何年も待たずに訓練開始ができたことに気づく人も多いと思います。盲導犬給付の先進県である長野県の給付事業は、どういう経緯で始められたのかについて、 元上田点字図書館長、内藤礼治氏をお招きし、長野県ハーネスの会創立5周年記念および松本市に盲導犬10頭誕生記念として講演会が開催されました。
晴れて秋風の心地よい平成15年10月5日、会場の視覚障害者センター(松本市旭)に集まったのは、主催の長野県ハーネスの会会員や盲導犬ユーザー、一般の愛犬家、引退犬飼育ボランティア、 失明当時講師に指導を受けた人たち、後援の松本市と自立支援センター(ピアネット21)の職員など約30名程度。時折、8頭の盲導犬の寝息などが聞こえる和やかな雰囲気の中、有意義なお話をお聞きすることが出来ました。
残念ながら講演を聞くことができなかった会員の皆さんにも、是非長野県の盲導犬給付事業始まりの経緯を知っていただきたく、講演内容をテープからおこし、要旨をまとめたものを掲載させていただきます。
演題「盲導犬給付事業はこうして始まった」
東信地域の視覚障害者の熱烈な運動により、昭和30年「長野県上田点字図書館」が開館しました。公立では全国初であり、職員は館長と私の二人でした。点字本の貸出し業務が始められましたが、東信地域の視覚障害者たちの会合にも盛んに利用されました。そんな中、私が大変気になったのは、失明者の人達が必ず家族の介添えを必要としていて、付いて来てくれる人が居ないと来られなかったという事でした。その時、これはなんとかしなければまずいなあと思いました。点字を知らない人たちに「点字を勉強しませんか?」と声をかけると、介添えの人から「時間がつぶれて困る」とずいぶん不平が出たものです。それじゃあ一人で来れるようにするには、やっぱり歩行できなくてはいけないと言うことで、私が英国の盲人歩行の手引き書を参考に、日曜日に各家庭を廻って、点字と白杖歩行の訓練を始めました。
それがずいぶん評判が良く、年に7人位の人に教えることができました。今から考えると本で勉強しただけですから、いい加減なものでしたがね・・・。
大阪の日本ライトハウスの岩橋所長が、ヘレンケラー女史を日本に招いて、失明者の文化の向上について力を入れて講演されたことがありました。それが刺激となって、点訳運動が各地で一斉に始まったのです。
アメリカの傷痍軍人で、盲導犬と共にアメリカ中を回って、盲導犬普及に貢献した人がおりました。その人が書いた「この犬が光を与えた~盲導犬パニーの生涯~」という本が和訳され、それを点訳してもらって図書館に備えることができました。
それが東信地区の人たちによく読まれ、会合の度に盲導犬が話題にのぼるようになりました。ところが、その当時は盲導犬をもつにはどうしたらいいか全く見当がつきませんでした。
昭和40年に私が館長を引き継ぎ、職員も6人に増えて、本格的に中途失明者の訓練をするようになりました。ところが、失明者の訓練をすると言うことは上田市の条例にないと言うことで問題になり、私は他の部署に回されそうになったのです。
ところが、辞表を持って市長を尋ね、中途失明者の現状を訴えたところ、当時の小山市長が理解を示してくれ、訓練は続けられるようになりました。
盲導犬事業については、県の福祉課に行き「盲導犬という犬がいるから、是非それを取り入れて普及を図ってもらえないか」と申し入れをしました。日本でも盲導犬の使用者が多くなってきていて、長野県でも諏訪の方で自費で盲導犬を使う人も出てきていました。しかし、県に十数年訴え続けましたが、何としても通りませんでした。
昭和56年は、国際障害者年でした。その折り、オーストラリアの視覚障害者マリーマウンテンさんの講演と懇談会があり、盲導犬の有用性が話されました。懇談会には県や市町村の福祉課職員も同席していましたが、交渉は実を結びませんでした。
そこで、10年来点字図書館に備品等を寄付していただいていた上田市の石井眼科医院長にその事を話したところ、「よし、それならオレが1頭分のお金をだそう」と言うことになり、当時の公費の負担分の86万円をポンと出してくれました。そのお金が盲導犬のための指定という形で上田市に寄付され、年度途中で異論も出されましたが、12月市議会で盲導犬の給付が決定されたのです。人口8万人の小都市が、盲導犬を1頭出すなんて事は全国どこにもなかったので、地方新聞はもとより全国紙にまで大きく報道されました。そして、その日のうちに、県の福祉係長から私に電話が入りました。「部長に図ってようやく県で年に2頭ずつ盲導犬を出そうと思うんだが・・」という話でした。どうも県の立場上、上田市に先行されては困るので引いてもらえないか、というような意味のようでありました。私は「県は県の立場で出すというのだから、それはそれで県民のために使えばいいでしょう。
それにしても、人口8万人の上田市が1頭で、200万人の長野県で2頭では釣り合わないんじゃないですか」と返答しました。それから4日後に、検討した結果、県では4頭の盲導犬を出すことになったとの連絡がありました。その後、石井眼科医院より石井基金として上田市に4000万円程の寄付があり、上田市から1頭、県で4頭、計5頭ずつの盲導犬が毎年給付されるようになったのです。国際障害者年の昭和56年のことでした。これが全国に報道され、東京・大阪・京都などの大都市の民生部から「私たちは1頭でも大騒ぎだったのに、なんで長野県では盲導犬がこんなに給付されるようになったのか」と問い合わせが殺到しました。
人口が100人いればそのうち3人は視覚障害者で、長野県には6300人の視覚障害者がいると思われますが、その半数は1、2級の重い障害を持っている方々です。
石井基金の石井眼科医と私とのおつき合いは、昭和42年からでした。石井眼科の患者の女子高校生二人が、網膜色素変性症で失明したため、石井眼科医からその訓練を依頼されたのがきっかけでした。週2回ずつ来てもらい、1年間点字と白杖歩行の訓練をして、鍼灸・マッサージの学校へ送りました。このようにして、失明者の情報が入ると、訓練しては教育を受けてもらいました。この仕事にかかわって50年間に私が訓練を手がけた人は210人くらいになります。
これは本当に良い方法で、病院と訓練施設がタイアップしてやると失明者は救われるんですよ。ところが、そういうふうに訓練につなげてくれる眼科医は少なくて、失明者は時間がずいぶん経過してから、やっと私の所を探して来るような状態でした。ヨーロッパ・アメリカ・オーストラリアなどは、眼科のある病院には必ず訓練士がいます。この訓練士なるものがすごい権限を持っていて、医者が変なことをすると医者を罷免まですることができるそうです。アメリカの場合は、各地区に訓練士がおり、失明した情報が入ると、1週間以内に白杖歩行か盲導犬の訓練を始めるそうです。今、アメリカは盲導犬の普及
率が高く、一万頭ぐらいいると思いますがね。眼科医と訓練施設が一緒になって進めますと、盲導犬の普及もずっと高まると思うんですよね。
私が退職するとき長野県では、県の給付が38頭、上田市が10頭、自費が2頭、団体からの寄付が2頭、計52頭の盲導犬が働いていました。これは、人口比率からいって全国一でした。しかし、単に普及率が高ければよいというものではありません。質の良い盲導犬が望ましいわけです。盲導犬の質は、訓練士の質や訓練所の環境、子犬を育てるパピーウォーカーの質によっても左右されます。時には質の悪い盲導犬によるトラブルがあり、訓練所と代替犬の交渉をしたこともありました。
一時は長野県に50頭以上もいた盲導犬が、最近は減少傾向にあり、この15年間に半数に減ってしまいました。中途失明者の一人歩きには、盲導犬が大変有用です。ですから、ぜひ皆さんで普及が広がるようご協力を願いたいものです。
こういった中で、松本市で最近10頭目が誕生したことは、人口比で言えば全国に例がないことで、まもなく喜寿を迎える私にとって、このニュースは何よりのプレゼントです。この仕事にかかわって50年になりますが、失明者の方々のために働いたということではなく、私にとって何よりの仕事を与えていただいたということで、心より感謝しております。
(テープおこし・要約:丸山訓代)
《コメンタリー 8》
『地域の活動に期待』
全日本盲導犬使用者の会 会長 清水和行
全日本盲導犬使用者の会(全犬使会)は、1994年に発足しました。現在全国の使用者の約4割を組織しています。これまで身体障害者補助犬法成立や「犬と歩いて」(ワニブックス)の出版などいくつかの成果を上げてきました。実は、この全犬使会の原点は、長野ハーネスの会のような地域の会の活動だったのです。信じられないでしょうが、1988年まで広島県には盲導犬が1頭もいませんでした。当時盲導犬のいない都道府県は、全国にわずか4つしかなかったのです。そのことを報道したテレビのニュースをきっかけに「広島にも盲導犬を」という声が上がり、1989年2月に広島ハーネスの会が発足したのです。
広島第1号の盲導犬はこの年の4月にやってきました。そして翌年の1990年10月には、県内の盲導犬使用者7名(関西盲導犬協会、日本ライトハウス、アイメイト協会の盲導犬5頭)とボランティアの交流会を行いました。一泊二日で林檎狩りや懇親会を楽しみましたが、宿泊施設を予約する段階では随分苦労があったそうです。
「この時の交流会を是非もう一度」という使用者の声を受けて、1992年から2003年まで毎年「広島県盲導犬使用者の集い」を行っています。集いでは楽しい日と時を過ごすだけでなく、使用者研修会を企画することも忘れませんでした。
当時全国の盲導犬協会どうしの交流は殆どありませんでした。私は出身協会を越えた広島のような交流の輪が全国に広がればどんなにいいだろうと考えました。そこで全国の使用者に呼びかけて立ち上げたのが全犬使会なのです。
昨年「盲導犬情報」で長野ハーネスの会の記事を読ませていただき、地域に根ざしたきめ細かい活動をされていることを知りました。長野ハーネスの会のような地域を単位に活動する組織と全犬使会のような全国的に活動をする組織とがそれぞれうまく機能することで、盲導犬使用者のレベルアップと社会への啓発が一層進むことでしょう。これからも広島ハーネスの会や長野ハーネスの会のような地域の会が日本各地に次々と誕生することを心から期待しています。
今年5月には、全国盲導犬使用者交流会を長野県で開催させていただきます。皆さんにお会いできることを楽しみにしております。
《国内ニュース》
『日本で初の盲導犬訓練士学校が開校』
財団法人日本盲導犬協会(横浜市)は、本年4月から同協会付設盲導犬訓練士学校を開校する。これは、盲導犬訓練士を目指そうとする人が必要な知識を体系的に習得し、科学に基づいた訓練技能と訓練士としてふさわしい人格の育成を図ることを目的としており、日本で初の本格的な盲導犬訓練士養成施設となる。教育課程は2年制の盲導犬訓練基礎科と基礎科卒業者を対象とする1年制の盲導犬訓練専修科がある。初年度は第1期生として基礎科で10名を募集する。
2年間の盲導犬訓練基礎科課程を修了すると、准盲導犬訓練士(財団法人日本盲導犬協会認定)(assistant trainer of guide dog)の資格を取得できる。また、その後1年間の盲導犬訓練専修科を修了すると盲導犬訓練士(財団法人日本盲導犬協会認定)(guide dog trainer)の資格が取得できる。日本盲導犬協会は、「学校で修得する訓練技能と犬に関する知識は、盲導犬のみならず他の補助犬をはじめとする全ての人と共に生きる犬の訓練において基本となるもので、学校運営を通して犬-人間関係の向上に貢献できる」と話している。
授業は、講義科目と実習科目から成っている。障害者福祉、視覚障害リハビリテーション、歩行訓練、医療、動物行動学、動物医学、などが予定されており、講師陣には多和田悟 (国際盲導犬連盟アセッサー)をはじめとしてそれぞれの分野の専門家が予定されている。実習科目では犬の繁殖、出産から飼育、犬舎管理、しつけ、盲導犬訓練など、現場での実習体験を重視した内容が予定されている。
現在、日本では全国に9ヶ所の盲導犬訓練施設(協会)があるが、訓練士養成はそれぞれの施設が独自に行っていて、統一された訓練士養成の基準はない。そのため訓練士養成の充実を図るためにこのような機関の設立を願う声は高まっていた。
しかし、問題も残されている。今回、日本盲導犬協会が先行する形で訓練士養成学校を開いたものの、果たして、他の盲導犬育成施設がどのように受け止め、同協会認定の資格を有する卒業生を採用するかは全く未知数である。
《連載 ベストパートナー》
『盲導犬がくるまで』(3)
岡谷市 北沢とも江
私に新しい目標ができました。盲学校で3年間、はり・きゅう・あんま・マッサージを勉強して国家試験を受けることです。さらなる点字の力を要求されました。点字の教科書を使って勉強するためです。盲学校の先生が直接教えてくださいました。
先生たちから、通学に盲導犬を使ってはと勧められました。犬が1頭、猫が2匹とういう我が家の現状では、とても無理な気がしました。しかし、松本までの電車やバスの乗り継ぎを思うと、盲導犬と一緒の通学が一番安全にも思えました。思い切って夫に相談しました。案の定、とんでもないと反対されました。無理もありません。しかし、しばらくすると、私に必要なことなら、なんとかしようと言ってくれました。それから今日に至るまでの2年間というもの、これ以上はできないと思えるほどのバックアップを、夫がしてくれました。家族は私の最大の応援団です。
1999年3月。盲学校の入学試験を受けたその明くる日、夫と横浜に向かいました。私のパートナーに会いに…。日本盲導犬協会は3階建ての真新しい建物です。1階はホール、食堂、事務室、別棟に犬舎、広い中庭、2階が訓練生の個室、生活訓練室、談話室、和室、浴室、犬用のトイレ。3階は研修用の大ホールです。
他の3人の訓練生より3日遅れで入所した私は、パートナーとはまだ対面できません。バス、トイレ付きの個室に犬のハウスがありました。ハウスの上には、衣装ケースとドッグフードや食器、その他、犬の道具が一式置いてありました。白いハーネス(犬の胴輪)があります。「ゼーダー」と書いてあるよと夫が教えてくれました。
夫が帰った後は、何もすることがなく、期待と心配が交互に押し寄せてきました。
無事に訓練を終了させ、犬と一緒に帰宅できるのでしょうか。
次の日、担当の指導員さんに連れられて中庭に出た時のことでした。黒いラブラドールが私の前に来て、うれしそうにしっぽを振りました。頭をなでると、まぶしそうに私を見上げました。ちっとも怖くありません。遠くから「ゼーダー、カム」と呼ぶ声がすると、私の前にいた犬はその方向へ走っていきました。指導員さんに、「あれが私の犬ですか?」と尋ねると、「いえ。どうしてそう思ったの?」と聞かれました。
その時はただ何となくそう思ったのです。明日になればわかることです。私のベストパートナー、ゼーダーとの出会いがもうそこまで来ていました。
《事務局》
『本年度の盲導犬・引退犬健康管理費助成』
2003年度のハーネス基金による盲導犬と引退犬への健康管理費助成は1頭につき、5000円で、去る2004年2月27日までに盲導犬使用者と引退犬飼育者の口座に事務局から振り込まれました。助成の対象となる盲導犬と引退犬は2003年4月1日から2004年3月31日までの期間内に長野県ハーネスの会に登録されていたワンちゃんで、盲導犬は26頭、引退犬は6頭でした。
ハーネス基金は会員の皆様からの年会費の半分と多くの方々から寄せられた寄付金で運営しています。
『ご寄付のご紹介とお礼』
(1) 募金箱や会員以外の方々からのご寄付(2003.9.10~2004.3.20)
〈会員以外の方々〉
松本市 赤ちょうちん 様 10,942円
松本市 ディリーストアー竹渕店 様 2,036円
松本市 ささべ幼稚園 様 8,706円
松本市 童謡唱歌を歌うモナミの会 様 3,828円
上田市 内藤礼治 様 20,000円
飯田市上郷小学校6年1組 様 10,300円
飯田市立座光寺小学校6年生一同 様 50,288円
〈募金箱〉
松本市 アップルランド竹渕店 様 3,344円
松本市 ヤマザキディリーストア竹渕店 様 7,845円 (2回目)
(2)会員の方々からの寄付(2003年4月から現在まで)
滝沢ケサミ様 近藤 頼子様 山本美津子様 茅野 永伯様
赤塚 俊義様 新井由紀子様 井川さゆり様 市橋 利子様
伊藤 正幸様 今村 和久様 今村 邦彦様 小田 道子様
金井 修司様 倉石千枝子様 倉島 憲代様 黒澤美那子様
小池フミ子様 小林 房江様 小林 操様 小山 尚子様
佐藤よしこ様 篠崎由紀子様 関 喜之助様 多田 艶子様
田中 淑子様 轟 輝子様 中原 和子様 西 綾子様
福澤 昭司様 古内みづほ様 三村 惇子様 宮坂 昌水様
宮澤藤貴子様 甕 正幸様 甕 奉邦様 吉川 敞子様
弓田渉・香織様
※これらの寄付金は全てハーネス基金に積み立たせていただき、県内の盲導犬と引退犬の健康管理や高額医療費への助成に当てさせていただきます。本当にありがとうございました。
《お知らせ》
『2004年度 長野県ハーネスの会総会のお知らせ』
2004年(平成16年)度の定期総会を下記のように開催します。本年度は定例の報告や計画についての議題に加えて、10月に松本市で開催が予定されている、国際アシスタントドッグパートナーズ会議の取り組みやハーネスの会の将来像についても話し合っていただきたいと考えています。
どうぞ、ご予定に入れていただき、ご出席をお願いします。
記
【日時】 5月23日(日)午後2時~4時30分
【場所】 Mウィング (中央公民館) 4階 4ー1会議室
松本駅から徒歩7分、駐車場もあります。
パートナーのトイレは会場近くの女鳥羽川の草地でできます。
【その他】 近くになりましたら改めてご案内させていただく予定です。
《編集後記》
5月並みの気候になったかと思えば、雪が降ったりと、変わりやすい天気のこの頃。足下には、ふきのとうが顔を出し、オオイヌノフグリも紫色の可憐な花を咲かせています。春はもうそこまで来ていますね。年間4回の発行を目指した会報ですが、残念ながら今年度も3回。来年度こそは・・・毎度の反省です。
(池田)
(編集係 原)