会報 「ハーネスながの 第61号」


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    会報『ハーネスながの』第61号 (2021年2月) 
発行:長野県ハーネスの会 会長 池田純 編集 前野弘美 片山幸子
〒381-0043 長野市吉田3-16-13 (株)Jハート内 Tel. 026-214-0802

振込み:ゆうちょ銀行 00570-7-17991 「長野県ハーネスの会」
      ーーーー ーーーー 本号の内容 ーーー ーーー
《年頭の挨拶》   会長  池田 純
《オンライン運営委員会報告》      池田 純
《連載/旅は犬連れ世は出合い?》    てくてく
《寄稿》  『虹を見た話』  松本市 丸山訓代
《デビュー》  『ハティとの生活が始まりました!』   長野市 加藤久美
《連載/本ほどステキなものはない!?》    長野市  池田 純
《事務局から》
《編集後記に替えて》
      ーーーー ーーーー お楽しみ下さい ーーー ーーー
《年頭のあいさつ》      会長  池田 純
2020年は、新型コロナウイルスの感染の広がりで大変な年になってしまいましたが、長野県ハーネスの会は、皆様のご支援によりハーネス基金の運営、会報の発行を続けることができました。
 それにしても、リスクマネージメントの全くできていない政府の下、全国の盲導犬育成団体にも大きな制限が求められ、共同訓練や募金活動に苦慮しています。幸いなことに、盲導犬ユーザーが感染してしまい、盲導犬を使い続けられなくなったという話は聞いていません。
 一方で首都圏では、視覚障害者の駅ホームからの転落死のニュースが続き、その度に新聞にも大きく取り上げられ、現在は国土交通省で駅ホームの安全対策について検討会が開かれています。しかし、話題になるのは人口の多い地域の問題ばかりで、地方の鉄道の話題は全く出されていません。
 地方を走る鉄道の抱える問題としては、乗降客減少に伴う駅の無人化・寒さ・暑さ対策の押しボタン式ドアの普及、切符購入のキャッシュレス化等々です。
これまで乗降客10万人以上とされていたホームドアの設置の基準も下げられつつありますが、地方の駅では全く設置が進んでいません。駅の無人化の問題については、大分県の身体障害者がJR九州に対して訴訟を起こしています。
自動車の運転のできない車いすの障害者は、視覚障害者以上に鉄道の利用に大きな困難を抱えています。実際に乗る何日も前に鉄道会社に連絡して、乗降する時間に駅員を派遣してもらい、ホームと電車の間にスロープを渡してもらって電車の乗降をする必要があります。ところが、このスロープを扱うことは、研修を受けた駅員にのみ認められていたため、大分県の高校生が署名活動をして、駅員以外にも介助を認めさせました。
 鉄道の問題だけでなく、視覚障害者のための音響信号も音を出しているのは限られた時間であり、夜間音のない信号で死者が出ていることが毎日新聞の調査で分かりました。
 「アンケートは12月までに都道府県警すべてから回答を得た。それによると、2019年度末時点で全国の信号機総数は20万8152基。うち音響機能付きは1割ほどの2万4367基にとどまり、稼働時間を制限しているのが84%(2万445基)を占めた。(毎日新聞2020年12月29日より)」
 地方都市で暮らす私たちは、身近な所にある問題について常に留意し、改善すべきことについて声を出し続けなければいけないようです。
オンライン運営委員会報告
 12月6日に予定していた運営委員会は、私のパソコンでZOOMのホスト設定ができず、延期していましたが、2021年1月31日(日)に開きました。出席者は9名で、オンラインでの開催になりました。
 主な内容は以下の通りです。
◆ハーネス基金
 補助対象者は、ユーザー会員18名、引退犬ボランティア4名ですが、補助を辞退しているユーザーが1名います。
 引退犬1頭からの治療費の補助申請があり、既に支出しました。
 健康管理費は、今年度中に支払う予定です。 死亡弔意金は、2頭が対象になっていますが、既に1頭は支払い済みです。
◆会費及び寄付金
 会費の納入状況については、集計中です。
 過日、多額の寄附がありましたが、4分の1を一般会計、4分の3をハーネス基金の口座に入れることになりました。
◆会報”ハーネスながの”について
 運営委員会の報告を加えて2月発行予定。
◆問題対策チーム
 新型コロナウイルスの関係で、非接触型のエレベーターのボタン等が開発・販売の動きが加速しています。
 駅ホーム等での声がけをする人が少なくなっているとの訴えがありました。
長野県の補助犬窓口の担当者は、江澤ひろ子さんになりました。入店拒否などの困りごとがあったときには、ぜひご相談ください。
≪連絡先≫
長野県健康福祉部障がい者支援課 在宅支援係 担当 江澤 ひろ子
Tel:026-235-7104(直通) Fax:026-234-2369
Eメール fuku-zaitaku@pref.nagano.lg.jp
江澤さんからのメッセージ
一昨年までビーグル犬を飼っており、犬が大好きです。盲導犬を連れていると、入店等を断られることもあるそうですが、「身体障害者補助犬法」をご存じない場合が多いようです。知っていただくことで解決することもありますので、微力ではありますが、何かありましたらご相談ください。
◆ウェルカムチーム
 新型コロナウイルスの関係でイベントが中止になっているので、募金箱の回収のみに活動が制限されている。
≪今後の予定≫
2021年度総会を次の日程で行います。
日時:6月13日(日)10時〜14時
場所:長野市障害者福祉センター
《連載/旅は犬連れ世は出合い?》 ≪秋葉道ランダムウォーク その3≫
    『遠山郷を行く』
【遠山についてひとくさり】
 遠山という地名は戦国時代から江戸時代初めにかけてこの地域を三代にわたって支配していた豪族遠山氏の名に由来する。天竜川の支流の遠山川と上村(かみむら)川に沿った南北に長い谷間の部分である。更に付け足せば谷の東側は赤石山脈(南アルプス)、直ぐ西側には伊那山地が壁のように迫っている。人々の大半は西側の上村川と遠山川に沿った地域に集まっている。地図上の位置としては長野県の東南端に当たり東側から南側にかけて静岡県と接している。
 かつてこの谷に沿って遠州秋葉神社から信州諏訪へと秋葉道が通り、人と物産の往来を支えていた。今はそれとほぼ重なるように国道152号線がある。国道とはいうものの遠山谷の北端や南端の辺りは、「酷道(こくどう、ひどいみちの意)152号線」と揶揄されることもある。そしてこの道を古希前後のおっさん二人が犬を伴って気まぐれ道中を重ねながら歩き繋いでいる。
(地図 遠山郷の位置がわかる長野県の地図)
【我が追憶の遠山】
◆小学ガキの遠山観
 私は小学生のころから大人の話や所謂世間話という社会ネタに耳ざとい生意気なガキだったと思う。それくらいだから多くの同年のガキどもは聞いてもスルーしてしまうような地域社会や地元の話題でもかなり興味深く覚えていたものだ。
 遠山についての記憶で最も古いものは昭和30年代中頃のこと。毎年郡内の小学6年生を一堂に集めた音楽発表会のときだった。遠山地区の小学校からも参加があった。
 発表後に進行係の先生は、「○○小学校の皆さんは発表のために昨日は飯田に泊まりました」という紹介をした。遠山の小学生たちについてのこの記憶は強い印象をもって残った。同じ下伊那郡内でも途方もなく遠いところに住んでいる人たちがいる。大人の話にたまに出てくるあの遠山か。こんな音楽発表の内容とは全く関係のない雑情報に興奮した。肝心のこと、どんな歌を歌ったかというようなことはさっさと忘れたのだが。
 そのころ伊那山地を挟んで西側の天竜川沿岸や鉄道沿線に住む飯田市民にとっては、遠山という地名そのものが辺境辺鄙の代名詞であり、その地名を口にするときどこかに蔑むような響きさえ感じたものであった。
◆初めての遠山
 私が初めて遠山に行ったのは高2の夏であった。優に半世紀以上昔のことになる。南アルプスの赤石岳登山のために、同級生の仲間と遠山郷の中央部の木沢までバスに乗った。最寄り駅から飯田線で天竜川に沿って南へ50分乗って平岡駅(天龍村)で下車。そこからは上村行きの乗り合いバスで遠山側の谷筋を上流へ40分で和田。更にバスで20分で木沢に着いた。実に半日近い移動時間だったことになる。
 そのときのもっとも強烈な印象は和田から木沢に向かう一段と谷が深く切れ込む辺りからの風景だった。迫ってくる山地の斜面にまるでひっかかって留まっているような民家。緑の山中に点在していた。あの家にはどこから行くのだろうかと考えたものだった。また、川に沿って迂回を繰り返す県道から下方の遠山川にかけての狭い斜面は階段状に水田があった。稲田の緑と川原の白さが夏の日を反射して眩しかった。
【40年間の空白を越えて】
 次に遠山を訪れるまでには40年近くの空白があった。その間に遠山地区の南信濃村と上村は平成の大合併により飯田市遠山郷と呼ばれるようになっていた。遠山について初めて知った頃の記憶からすれば、私自身はちょっと信じられないように「何故、遠山が飯田市?」と感じる一方、急に遠山が身近になったように思った。
 他方、私自身にもこの40年間という時間には大きな変化があった。病気による視力の喪失という劇的な身体変化である。それに伴い私の職場と生活は飯田から遠く離れた。幼少期から大半の時間を過ごした地元の話題や情報にも疎くなり遠山についての情報は全く入らなくなった。
 伊那山地に自動車専用道路トンネル(42km)が貫通した。そして喬木村と遠山地区の上村を経て飯田市中心部から和田まで1時間半足らずで結ばれるようになっていた。これらのことを知ったのは今から20年ぐらい前のことだった。既に私が知るより10年も前には開通して行き来が可能になっていたようである。
 そんな画期的とも思えるような新事実を知り、50年前に初めて訪れた遠山への郷愁が徐々に膨らんでいった。
【遠山郷を歩く】
◆あらすじ
 5月のゴールデンウィークのある日、私たちは伊那山地の矢筈トンネル東口に近い程野(ほどの)バス停から南信濃和田へ向かって歩き出した。程野の標高は約920m、目的地の和田は400m、距離は約15?である。この日は上村川とその南の遠山川に沿うように国道を南に向かって歩くことにした。
 前回の水窪から青崩峠を越えて遠山郷への道は北へ向かった。北へ向かうか南へ向かうかは、その日の出発点の自宅からの距離や地形が上り勾配か下り勾配かによって決めている。水窪からの連続性を考えれば和田から程野へと遠山川と上村川に沿って北へ向かうべきところだが、ここではお互いに年は争えず体力的に負担の少ない下りコースを選んだ。
◆上村(かみむら)程野から上町(かみまち)へ
 矢筈トンネルを出ると道路は伊那山地東斜面に襷を掛けたように気持ちよく下って行く。新緑の季節のこと薫風がさわやかであった。進行方向左側は上村川の流れる遠山谷。谷は深いものの反対側の斜面までの距離は意外に短そうに感じた。予想に反して驚いたことは通り過ぎる車の量の多いことだった。
上村地区の中郷(なかごう)を過ぎて中心集落の上町まで来ると下りの勾配は緩やかになる。従来の国道152号線と重なる区間が上町集落で旧秋葉道の上町宿である。今も道路の両側に昔の旅籠や商家を思わせる民家が何軒か軒を連ねていて、それぞれの玄関口の柱に屋号を示す札がかけられていた。往時の秋葉道の宿場町の佇まいを想起させられた。
 上村川とその下流の遠山川に沿う国道152号線はカーブが多く道幅が狭い。それらの難所を避けて対岸の西側に新しく三遠南信道が敷設されてきた。152号線のバイパスの役目も果たしており、橋とトンネルによりカーブはかなり少なくなったようだ。道幅も広く歩道部分もある。同行のKさんを先頭にガイダと並んでテンポよく歩けた。
≪写真 上町宿(かみまちじゅく)跡(南信州観光公社HPより)≫
◆旧木沢小学校を訪ねる
 木沢地区が近づくと川に接する水田部分が広がってきた。深く切れ込んでいた谷の幅が少しずつ広がってきたようだ。
 木沢では廃校となった旧木沢小学校の校舎を利用した資料館に立ち寄った。バイパスを離れて多分西の方へ3分ぐらい歩いた場所だったと思う。小さな校庭を突っ切った正面に校舎があった。玄関の左側、校舎前に金属の掲揚ポールが建てられたまま残されていた。校舎は木造の1棟と小さな体育館だけ。背後に山が迫り周囲を新緑に包まれているとのKさんの説明だった。
 校舎の中は職員室・保健室を始め、2階の教室や廊下にまで学校で使われていた教具やオルガン・図書・写真などを自由に見て回れるようになっていた。中央構造線地帯の岩石標本まで展示されていた。遠山郷に関わる何もかもを集めた観はあったが、気軽に触れられ素朴でほのぼのとしていた。
 校舎を出て再び校庭を歩いていると掲揚ポールがカラン、カランと鳴っていた。薫風に吹かれてワイヤーと金属ポールが不規則に打ち合う音だった。時が止まっている中でこのポールだけが何かを訴えているようにも感じた。
≪写真 旧木沢小学校(遠山郷観光協会提供)≫
◆錯覚か記憶の劣化か?
 ちょっと余談になるが、私は先に、高2の夏、赤石岳登山のために木沢でバスを降りたと書いた。そのときの記憶と今回立ち寄った旧木沢学校の場所がしっくり一致しないことに気づき、もやもや感を引きずることになった。確か、あの夏、和田を通って遠山川に沿ってバスは更に北に向かっていたはず。そして木沢小学校前で降りた。学校は県道(現国道152号線)の進行方向右側にあった。ということは国道の東側ということになる。しかし、今回、私たちは北の上村から歩いてきて旧木沢小学校へ立ち寄るために右に曲がった。バイパスを南に歩いていて右に曲がったということは道路の西側になる。まあ、ここでは50年前の記憶などというものはさほど信用できないのだと納得するより仕方ない。記憶の劣化か?それにしても思い出すともやもやする。これは正常な視覚さえあれば何ということもないことだ。
 また、50年前の追憶になるのだが、バスの車窓から眺めて衝撃を受けた谷の両側斜面にひっかかるように点在していた民家の風景は今どうなっているか?
 私はうかつにもKさんに尋ねるのを忘れていた。そして帰宅後に悔やんだ。
◆古代地震による災害の痕跡
 木沢地区の南で上村川は東から流れてくる遠山川に合流する。その少し下流の小道木橋(おどぎばし)付近の川原ではおよそ1,300年前の奈良時代(714年)に遠江(とおとうみ)を震源地とする大地震による山地崩落で、遠山川に埋もれた杉の大木が発掘された現場がある。現在でも何本かは天然記念物として、そのまま立木の形で現場で保存されている。また、地元の自治振興センターのホールに実物が展示されている。これは平成になって遠山川の土木工事中に発見されたようだが、私はつい数年前まで知らなかった。
◆和田は遠山郷の中心地
 バイパスのトンネルを抜けながら更に南に進むと、左前方が開けてきて遠山川の対岸に和田の町並みが広がってきたようだった。和田は遠山郷の中心地であり、交通の分岐点にもなっている。遠山郷では集落の並びや道路は概して南北の方向に線として延びる。和田では道が縦と横に交差して、狭いながらも面としての街の体《てい》をなしている。南東から北西に緩やかに傾斜する扇状地であり、小さな盆地の上にある。秋葉道の往来が盛んであった江戸から明治・大正のころまでは秋葉道中で最大の宿場町の一つだった。
 おっさん二人と犬一匹は和田の道の駅「遠山郷」の「かぐらの湯」で休憩した後、乗り合いタクシーで飯田線平岡駅へ向かった。
【歩くことは知ること】
 私は50年前、いや、もう少し前の少年期のころ、伊那山地西側の飯田市内からの視点として、「遠山は下伊那の孤島、辺境辺鄙の代名詞」のような思いあがったとらえ方をしていた。還暦を過ぎ古希に近づいて私のそのようなとらえ方は一転した。
 新しい自動車専用トンネルが通って時間的な距離が短くなり容易に行き来できるようになったことが大きい。その結果、以前は遠山郷の限られた地域しか行けなかったが更にそこから遠隔の場所や集落まで足を延ばすことができるようになった。住んでいる人たちは減少しているが集落が点在する範囲はかなり広いことも分かった。
 足を運ぶ機会が増えると、興味は沿線の地理や地形に広がり、更に地域や周辺との関係や交流の歴史のようなことまで知りたくなった。先ず、関心の対象は秋葉道についてであった。少年時代の知識はほんとに断片的で限られていたと思う。最近になってやっと全体像を概観できるようになった。
 私の見方の大転換の要点は、「嘗て遠山は遠州と信州を結ぶ主要経路の一つとして大いに栄えていたこと」、「既に室町時代の南北朝のころから戦国・江戸時代を経て、明治・大正期まで続いていたこと」等である。
 遠山が、「下伊那の孤島、辺境辺鄙の地」などと不本意にも揶揄されるようになったのは現代になってからのこと。天竜川沿いに現在の飯田線が豊橋まで全通した昭和10年以後の高々80年ぐらいの間ということになる。そして今世紀に入りそのような交通事情は大きく変わり始めた。
 秋葉道は秋葉信仰と諏訪信仰の道であり、遠州と信州の旅人と物の交流を支えた。江戸時代になると東海道と甲州街道・中山道を繋ぐ地方街道の役割も果たした。和田には中馬宿もあってかなり活気溢れていたことが想像できる。このルートを通じて江戸や大坂の文化や芸能も入ってきたという記録もある。
 また、遠山郷にはそれらの歴史より遙か昔に起きた自然現象の顕著な痕跡も残っている。6年ほど前になるが、遠山郷ウォーキングイベントで上村のしらびそ高原(1900m)から下栗(しもぐり)地区(1000m)まで歩いた。このとき、高原の東斜面の御池山(おいけやま)隕石クレーター(直径900m)にも立ち寄った。数万年前に起きた日本列島唯一の巨大隕石の落下地点である。また、遠山川には奈良時代に遠江で起きた巨大地震による山崩落跡も残っている。そして遠山郷は地域全体が国内最大最長の断層帯の中央構造線の中にある。自然科学の専門家やアマチュア研究者にとっては比類なき魅力のフィールドのようである。
 私はこの10年ぐらいの間によく歩いた。そして郷土誌や自然科学分野に関わる古今の調査報告の多いことにも驚いた。在野の研究者やノンフィクションライター、さらには素人愛好者も遠山郷にまつわる調査研究やルポ、体験記を著している。これらの史料や情報も最近は容易に入手できるようになり、知ることが楽しい。
 「なぜ目が見えないのにそんなに歩くのか?」と尋ねる人がいる。
私は、「目が見えないから歩くのです」というより答えはない。やはり知ることは理解を深め、愛おしさを育むものだと思う。 (原 哲夫)
《寄稿》  『「虹」を見た話』  松本市 丸山訓代
 数年前、視覚や知的な障碍のある人を含むグループでホノルルに行った。ダイヤモンドヘッド登山の時、スコールが降ってきたが構わず、前を歩く人のザックの紐を持たせてもらって真後ろを歩いた。石の階段やトンネルを行くうちに雨は止んだかと思ったその時、「虹だ!きれいな虹!」とあちこちから声があがった。皆と感激を共にしながら私はイメージの中に描いた映像をそっと持ち帰った。
帰国後、患者さんにマッサージをしながら「ハワイは虹がきれいだった」と話した。
 しばらくして、「うちの学校でその話をしてほしい」と依頼が来た。驚いたことにその人は小学校の校長先生で、子供たちにハワイの話を披露することになったのだ。
自分の目で見たわけではないけれど私の思い出のスクリーンにしっかり入っていたので「虹がきれいだった」と言い切ったのだった。
《デビュー》  『ハティとの生活が始まりました!』   長野市 加藤久美
2021年がスタートして間もない1月4日から、私にとって5頭目のパートナーとの共同訓練のため、茨城県ひたちなか市にある「いばらき盲導犬協会」に行ってきました。新型コロナウイルス感染症が拡大を続ける中での訓練となり、感染症対策をし、マスクを着用して歩くことになりました。幸い寒い時期の訓練でしたので汗をかくこともなかったのですが、これが夏場だったらどんなにか大変だったろうと思います。
1月16日には長野に戻り、3日間の現地訓練を終えて、無事卒業となりました。
 新しいパートナーの名前はハティ。「トムは真夜中の庭で」というファンタジー小説に出てくる女の子の愛称だそうです。ラブラドールレトリバーとゴールデンレトリバーのミックスで雌。体重は、27kgで少々ぽっちゃりしています。
 おとなしくてのんびりした性格で、2歳4ヶ月だというのにすっかり落ち着いた大人の雰囲気です。でも、雪を知らなかったようで、さっそく降った雪の上を歩いたときには大興奮していました。
 前のパートナーの引退から1年以上、慣れない白杖歩行に苦労していましたので、また盲導犬と歩ける喜びを毎日感じています。ハティが健康で1日も長く私のそばにいてくれることを願っています。
《連載/本ほどステキなものはない!?》  『「共に生きる」ための経済学』
                                 池田 純
 「共生社会づくり」が障害者基本法の中に定められたのは2004年です。それ以前にも障害福祉の分野ではずっと言われてきたものが、法律の中で明記されたことは画期的なことでした。そして、現在長野県が制定の作業を進めている障害者差別解消のための条例の仮称も「共生社会づくり条例」です。
ところで今回紹介する本は、経済学者である浜矩子(のりこ)さんの書いたものです。浜さんの本はこれまでにも何冊も読んだことがあり、タイトルを見つけてすぐに読み始めました。
浜さんは、現代のグローバル化を第3次グローバル化の時代と定義し、そのグローバル化に反する動きを「破グローバリズム」と呼んでいます。
 アメリカのトランプ前大統領が主張した「アメリカ第1」やヨーロッパの諸国で抬頭しつつある移民を排斥するナショナリズムがその代表です。我が国も例外ではなく、大都市に行くと大音響で中国や韓国に対する罵詈雑言をまくしたてる街宣車が走り回っていますが、それらの人々もその一種です。そのような破グローバリズムに抗して、分断を克服するにはどうしたらよいか、それに向かうヒントが書かれているのがこの本です。
 「どのような条件が整えば、我々多様なる者たちは、共に生きていくことができるので
しょうか。この点を解明していくのが、本章の課題です。結論先取り的に申し上げれば、取り揃えたい条件、満たされるべき条件は、どうも四つあるように思います。その一が共感性。その二が開放性。その三が包摂性。そして、その四が依存性です。」
 浜さんは、現代を「豊かなる者と貧しき者の分断の時代」と定義しています。中間層が貧困化し、豊かなる者に富が集中する時代です。そして、私たちが目指さなければいけない社会とは――。
 「果敢に、したたかに、いまを生き抜いている開かれた小国たち。国々の内側で小宇宙を形成している開かれた地域共同体群。手を差し伸べ合い、連帯しながら、世のため人のために活動する如水の市民革命家たち。義賊の香り高き反貧困の闘争家たち。対岸の火事を放置しない現代の善きサマリア人たち。彼らは、いずれも小さき者たちです。小さき者たちだから、誰も一人では生きていけないことをよく知っている。小さき者たちだから、抱きとめ合わなければ救いを得られないことを熟知している。小さき者たちだから、お互いに背を向けることが命とりであることを実感できている。小さき者たちだから、お互いに頼ることを憚らない。小さき者たちだから、真の共生を実現できる。」
長い引用になりましたが、この本が破グローバリズムに抗すると共に、現在の新型コロナウイルスとの闘いの中で命の選別が行われようとしている国際社会への警告の書であり、障害のある私たちへの励ましの書でもあるようです。
 『「共に生きる」ための経済学』著者:浜矩子 平凡社新書2020年9月
≪写真 本の表紙≫
《事務局から》
【盲導犬ユーザーおよび引退犬の近況報告】
≪デビュー≫ ようこそ!
青井貴世志さん(立科町)“カナール”
加藤久美さん(長野市)“ハティ”
≪引退≫ お疲れさまでした。
両角幾雄さん(東御市)“スマイリー”2020年8月
中澤医さん(坂城町)“ザグ”2020年8月
≪永眠≫ 虹の橋で会いましょう。
滝沢ケサミさん(佐久穂町)“デリカ”2020年10月
谷口和男さん(松本市)“デミ”2021年1月
【会費納入のお願い】
 ユーザー会員・引退犬飼育会員の皆さんで、令和2年度分の会費の納入がお済みでない方は、早急にお振込をお願い致します。振込用紙がお手元にない方はご連絡ください。
【メーリングリストについて】
携帯電話のアドレスで、メール受信ができないという事例が増えています。メーリングリストおよびお知らせのメールを、確実に受信ができるように、以下の2つのドメイン設定(受信の条件は、「後方一致」または「含む」)を登録してください。
@ml.harness-nagano.com
@harness-nagano.com
【事務局連絡先】
 メール:jimu@harness-nagano.com
 電話:026-214-0802(会長池田直通)
《編集後記に代えて》
マスクをした猫が「早くマスクはずした〜い(片山)」と言っているイラスト。
 <これでおしまいです>
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