/ * / * / * / * / * / *
『ハーネスながの』66号 (2022年12月)
発行:長野県ハーネスの会 会長 池田純 編集 前野弘美 片山幸子
〒381-0043 長野市吉田3-16-13 (株)Jハート内 Tel. 026-214-0802
振込み:ゆうちょ銀行 00570-7-17991 「長野県ハーネスの会」
~ーーーー ーーーー 本号の内容 ーーー ーーー~
《運営委員会報告》 会長 池田 純
《特集/防災》
災害列島で生き延びるためには 長野市 池田 純
地域の消防署で学んだこと 東御市 広沢里枝子
防災学習会を開きました 上田市 角谷美由紀
島根からふたつの取り組み 島根ハーネスの会 三輪利春
《スポーツ/ブラインドサッカー》
ボクのマレーシア奮戦記 日本代表チーム 平林太一
《編集後記》
~ ※ ※ ※ ~
『運営委員会報告』 会長 池田 純
10月23日(日)午前10時からオンラインで今年度の第2回運営委員会を開きました
。
会計の齋藤さんからの報告で会費納入者は50名とのことですので、会費の納入を失
念している会員の方は、物価高で何もかも値上がりしている大変な時期ですが、よろ
しくお願いします。
今回の運営委員会で決まったのは、
(1) 「障がいのある人もない人も共に生きる長野県づくり条例」の学習会を2023年1
月22日(日)午前10時からオンラインで開催します。
(2) 11月5日(土)午後1時30分から、長野県立美術館で「対話型鑑賞」の研修会が
京都教育大学の日野先生を講師に迎え開かれます。
(3) 盲導犬減少時代の流れに抗して、新たなユーザーを支援するために「がんばれ
共同訓練支援事業」を実施することが決まりました。この事業は、共同訓練にかかる
費用を支援することで、盲導犬ユーザーの経済的負担の軽減をはかろうというもので
す。
(4) 次回運営委員会は 2023年2月26日(日)の予定です。
【がんばれ共同訓練支援事業】
(目的)
第1条 がんばれ共同訓練支援事業(以下「本事業」という。)は、長野県ハーネス
の会(以下「本会」という。)の会員である盲導犬ユーザーまたは、新たに本会の会
員となった盲導犬ユーザーの共同訓練に係る費用の一部を支援することにより、盲導
犬の普及に資することを目的とする。
(支援額)
第2条 共同訓練1回につき次に掲げる額を支援する。
(1) 育成団体の訓練所で共同訓練を受けたとき 3万円
(2) 自宅周辺のみで共同訓練を受けたとき、 2万円
(3) 居住する自治体等から共同訓練に係る補助を受けたとき 1万円
(支援対象)
第3条 支援対象は次に掲げる費用とする。
(1) 自宅から訓練所までの往復の交通費
(2) 盲導犬のベッド等
(3) 盲導犬の衣服
(4) その他必要な費用
2 前項の支援を申請する者は、共同訓練報告書を会長に提出する。なお、共同訓練
報告書は任意とする。
(利用制限)
第4条 本会の共同訓練に係る支援を受けた者は、5年以上経過しないと再度の支援
は受けられない。ただし、やむを得ない事由により5年以内に引退させたときは、運
営委員会において支援の可否を決定する。
(原資)
第5条 本事業に係る支援金は、本会のハーネス基金より支出する。
附 則
本事業は、2022年11月1日から施行する。
《特集/防災》
『災害列島で生き延びるためには』 長野市 池田 純
温暖化が進行する地球で暮らす私たちは、いつ自然災害に襲われるか分かりません
。「私は大丈夫」という正常性バイアスにとらわれていると生き延びることはできま
せん。
私たちが生き延びるためには3点のポイントがあります。
①情報 ②避難計画 ③避難所です。
【1】 情報から阻害される視覚障害者
国土交通省や自治体は多額の資金を投じて立派なハザードマップをつくり、冊子に
して配布したり、ホームページ上で確認できるようになっています。
しかし、視覚障害者はどちらの情報にもアクセスすることはできません。視覚障害者
のためのハザードマップについては、国土交通省の研究会で検討が続いていますが、
最近になって実証実験までこぎつけたのは、東京都太田区で行われたもので、スマー
トフォンを使って現在いる場所の危険度を音声で確認できるものです。
このスマートフォンの情報は、一点集中型で、広範囲の情報を収集することには不
向きであり、音声だけで、ハザードマップに記載されている情報を表現することには
限界があります。
また、かなり前から行われているのは、ボランティアにハザードマップの情報を録音
してもらう方法ですが、これは説明する人にかなりの知識が必要になります。
これに対して、私たちが試しているのはアクリル板を特殊なプリンターを使って彫
ったり、高性能のUV(紫外線)プリンターを使って、アクリル板に突面を表現するもの
です。
この方法が最も有効だと考えていますが、この手法でハザードマップを作成するた
めには、多額の資金が必要であり、私たちのプロジェクトはその点で暗礁に乗り上げ
ています。
次に「避難指示」の情報伝達ですが、国の方針でデジタル化された防災行政無線の
ネットワークを整備したものの、強い雨の日や風の強い日にはスピーカーの音は聞こ
えなくなり、そもそもスピーカーの音が届かない場所がかなり多くあります。
そのため内閣府ではワンセグを利用した情報伝達について検討しているようですが
、早期の実現が望まれます。
【2】 個別避難計画
昨年度は、県社協において試行事業が実施され、今年度からは実際の計画が作られ
始めたのが「個別避難計画」です。
長野市においては、柳原・長沼・古里・中条・吉田地区で80名の要支援者のための
個別避難計画が今年度中に作られることになっています。
しかし、誰がどのように作るのかまだはっきりしたことが分からず、効果的な計画
が作ることができるのか見通せない状況です。
【3】 福祉避難所について
2019年の台風19号は、長野県内を流れる一級河川である千曲川が、何箇所も堤防が
決壊して大きな被害をもたらしました。そしてこの水害では、県内の多くの障害者も
自宅にとどまることができず、避難所生活をすることになりました。
障害者が避難する場所としては「福祉避難所」が市町村から指定され、長野市でも
58箇所が名簿に載っていますが、実際に福祉避難所が開設されたのは堤防が決壊して
から4日後のことで、そこを利用したのは5名の高齢者だけでした。水害のため自宅
に帰れなくなった障害者は、どこでどんな生活をしていたのでしょうか?
「避難指示」が出たらまず行くのが「避難場所」で、地区の公民館等です。そして
重大な災害が予測されるようになった時点で「第1次避難所」が開設され、要配慮者
と言われる人々もこの第1次避難所に行き、第2次避難所である福祉避難所が開設さ
れるのを待つことになります。大雨が降ったり、強い風の吹いている中を要配慮者が
何度も移動しなければいけないシステムになっています。
そこで、熊本県は福祉避難所を第1次避難所に指定することで、要配慮者の負担を
軽減しています。長野県でも福祉避難所ガイドラインの改訂を進めているはずですが
、私はまだその文書を入手できませんので、国のガイドラインを記します。
【福祉避難所の確保・運営ガイドライン】
平成28年4月(令和3年5月改定)内閣府(防災担当)
○?指定福祉避難所は、以下の①から⑤を満たす施設を指定すること(なお、指定一
般避難所は、①から④のみを満たす施設である)。
① 被災者等を滞在させるために必要かつ 適切な規模のものであること。
② 速やかに被災者等を受け入れ、又は生活
関連物資を被災者等に配布することが可能な構造又は設備を有するものであること。
③ 想定される災害による影響が比較的少ない場所にあるものであること。
④ 車両その他の運搬手段による輸送が比較的容易な場所にあるものであること。
⑤ 要配慮者の円滑な利用の確保、要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受け
ることができる体制の整備その他の要配慮者の良好な生活環境の確保に資する事項に
ついて以下の基準に適合するものであること。
ⅰ 高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(要配慮者)の円滑な利用
を確保するための措置が講じられていること。
ⅱ 災害が発生した場合において要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受ける
ことができる体制が整備されること。
ⅲ 災害が発生した場合において主として要配慮者を滞在させるために必要な居室が
可能な限り確保されること。
☆ 避難所等で生活する障害児者への配慮事項等(厚生労働省・2021年6月16日)
■視覚障害者
○支援のためのニーズの把握
障害の程度(全盲、弱視など)は?
情報の取得方法(点字・音声・拡大文字等)は?
○音声で必要な情報をしっかり伝達
放送やハンドマイク等を使用して、音声情報だけで分かるような説明に配慮をお願い
します。
■身体障害者補助犬を使用する人
○使用者と補助犬を分離せず受け入れた上で、周りの方々に補助犬に対する理解を促
進
→同伴を拒んではならないことが法律で決まっていることを周知し、理解を求めてく
ださい。
これらの国の事務連絡を参考にして、お住まいの市町村の福祉避難所ガイドライン
の整備を働きかけてください。
※写真 国立長野高専の藤沢教授が制作している視覚障害者用ハザードマップ。右の
板は建物や道路など、左の板には浸水する深さを彫っている。
『地域の消防署で学んだこと』 東御市 広沢里枝子
2020年9月の「里枝子の窓」では、池田純さんから、防災・減災のために、準備し
ておいたほうがいいことをたくさん教えていただきました。まず、自分の住んでいる
場所には、どんな災害の時にどんな危険があるかを調べて、前もって自分の避難計画
を立てておくことが重要というお話でした。
ところが、私の場合は、目が見えないために、災害ハザードマップなども見たこと
がありませんでしたので、このままではいけないと思いました。そこでまず、市役所
に相談しましたら、東御市の場合は、消防署の中に防災課があるので、そちらで相談
するといいでしょうとのことでした。そこで、消防署に電話をして来訪の主旨を伝え
てから、ヘルパーさんと盲導犬のジャスミンと一緒に東御市の消防署へ行って来まし
た。
消防署に入るのは初めてなので、少し緊張しましたが、なんと署長さんが、みずか
ら災害ハザードマップを広げて、私の住所なども確認しながら、それはそれは丁寧に
、命に関わる大切なことを教えて下さいました。消防署でこんなに親切に教えていた
だけるなんて、知りませんでした!
障害のある方や、ご高齢の方では、「災害があっても自分はもう逃げないつもりで
いる」とおっしゃる方が、時々おられます。でも、あきらめちゃだめですよね。
消防署長さんに「障害のある仲間の皆さんにお伝えしたほうがいいことは?」と尋
ねましたら、「とにかく、家は絶対に安全と思い込まないで欲しい」「自分と家族の
安全を守る方法を具体的に考えておくこと」とのことでした。
ぜひ、必要な情報はみずからもらいに行って、災害に備えましょう。
東御市消防署で教えていただいたことを詳しくメモしました。災害時に一緒に逃げ
てくださることになっているご近所のご夫妻にもシェアしたところ、知らないことだ
ったので、教えてもらえてよかったと言っていただきました。
これは主に私の家に関する情報ですが、皆さんに役立つこともあるかも知れません
ので、参考までにそのメモを次に記します。
◆水害について
広沢宅のある地域は、災害ハザードマップでは、黄色。他の色に塗られた地域に比
べると最も安全。浸水の可能性は50センチ未満。50センチ未満というのは、大人が歩
ける程度。しかし、完全に水害の危険がないわけではない。求女川《もとめがわ》の
氾濫の可能性はあるので、避難警報が出た場合は、求女川の水位に注意する必要があ
る。
袮津城山《ねつじょうやま》の上からの土石流災害の可能性もゼロではない。地図
で見ると、広沢宅は、袮津城山の端になるので、比較的安全な地域とは思うが、土石
流が起きないということは、われわれの立場では言えない。
特に求女川が氾濫した場合は、早めに避難したほうがいい。求女川が氾濫した場合
は、求女川を渡って、つまり袮津東町の側に向かって避難するのは、危険な場合があ
る。もちろんこれは、100年に1度というような大きな水害の場合ではあるが、袮津小
学校に避難する場合は、求女川を渡ることになるので、早めに行動したほうがいい。
また、求女川が氾濫して、東側が浸水しているという情報が届いた場合には、西側
の和(かのう)小学校のほうへ、避難したほうがいい場合もあるかもしれない。和小
学校も、大雨になれば、和川《かのうがわ》が氾濫する可能性があり、その時々で、
同じ東御市内でも、どちらが安全か、判断したほうがいい。
これは、メールでの災害情報や、東御市の災害情報のホームページをよく確認して
判断する必要がある。東御市の災害情報のホームページには、市内の6か所の情報が
載っているので、そこをよく見てもらうか、地域の人たちと連絡をとって避難すると
良い。
川の水が濁ってきた場合や、雨量が多いのに、逆に水が流れてこない場合は、水害
が起きる予兆の場合があるので注意する。
袮津地域の避難所になっている袮津小学校は、災害ハザードマップでみると、広沢
宅と同じ黄色。水害の可能性は低いほうである。ただ、土石流の可能性がほとんどな
いという点では、家よりは、袮津小学校のほうが安全と言える。
ただし、盲導犬と一緒に避難するとなると、大勢が集まる避難所では、アレルギー
などの問題が起きる可能性がある。なので、避難所の中の特別な場所に避難する形を
取るか、福祉避難所に避難することを考えたほうがよい。
※祢津地区の地図
◆福祉避難所について
福祉避難所は、災害の状況によって、あるいはその人の状況によって、その都度、
変わる可能性がある。
台風19号のときに福祉避難所になった障害者就労支援施設は、災害ハザードマップ
では、緑色になっている。つまり、黄色の地域よりは、一段階、危険の可能性がある
。近くに所沢川《しょざわがわ》があるので、これが氾濫した場合は、1mぐらいま
での浸水の可能性があるということになる。
ただし、鉄筋コンクリート2階建てで、福祉職員もいる。土石流の心配もない。そ
の意味では、一概に、こちらのほうが危険とは言えない。
◆地震災害について
東御市は、特別に大地震が起きやすい地域には入っていない。一番揺れても震度5
強。しかし、震度5強は、物につかまらないと歩けない程度のかなりの地震だ。家の
中にいても落ちる物が多い可能性がある。家具などの固定や、上に落ちる物を置かな
い配慮は、普段から必要。家の中にいても、家具などに押しつぶされて亡くなる人が
少なくない。
地震の場合は、できれば家にいてしのぎたいと考えているとお話ししたところ、次
の
ことを教えていただいた。
耐震診断を受けておくといいかも知れない。耐震診断を受けるには、市の補助金が
下りる制度があるので、市の建設課、住宅係に相談するとよい。問題があれば、耐震
工事を行なって、家を安全な状態にしておくことが大事。大地震が起きたら、家では
、テーブルの下などに隠れる。外では、頭にカバンなどを乗せて頭を守る。とにかく
頭を守れば、他を怪我しても、命は守れることがある。
『防災学習会を開きました』 上田市 角谷 美由紀
やっと暑い夏が過ぎ、日中のお散歩がだいぶ楽になりました。そして、台風の時期
が過ぎようとしています。私たちにとって防災について学ぶことが、とても大切だと
感じるこの頃。さて、どうやって考えれば良いのだろうと考えた時に、消防の方と連
絡をする機会がありました。その中で、視覚障害者を対象に話し合いをしていただく
ことはできないか、と相談したところ、快く引き受けてくださいました。
上田市の危機管理課・障がい者支援課・消防の方に出席いただき、学び合いの会の
中で座談会形式で防災について教えていただきました。私たちにも分からないことが
たくさんあり、と同時に市役所の方でも私たちについて知らないことがたくさんある
、ということで話し合いをしました。
防災については、「知る」ことと「備える」ことが大切とのこと。
「知る」と言うのは、自分が住んでいる所がどういう災害に遭いやすいのか。その場
合には、どうやって避難したらよいのか、私たちには、自分でハザードマップを確認
する方法がありません。ですので、家族に見てもらい教えてもらうのもひとつの方法
。そして、上田市の危機管理課に行って教えてもらうのもひとつの方法。
水害と土砂崩れ、地震の時の避難先や避難する方法が違うこともあるそうです。
私の家は、避難場所が川を越えた先にあります。その時にはどうやって避難するの
か、もしくは避難しないで自宅にいるのか、それも考えのひとつです。
「備える」ということは、非常持ち出し袋を用意し、家の中にも非常食を用意するな
どが大切とのこと。また、避難する時に両手があくよう、リュックを備えることが一
番ですが、盲導犬用の物も大切です。普段からすぐ手に取れる所に置いておくことや
、たまには中身の点検もしましょう。
避難先には、小中学校や公民館等が決められていることが多いです。視覚障害者と
いうことを分かっていただけるようにしないと、何も分からないまま過ぎてしまうこ
ともあります。食事や水が来ても、指定の場所に取りに行けないこともあります。
視覚障害があることを周囲の人々に分かるように、ビブス(非常時用のベスト)や
タスキなどをかけて分かるようにするといいと思います。防災について考えると言う
ことは、自分で動かないといけないこともたくさんあるのだな、と感じました。
ハザードマップの確認や、非常持ち出し袋を準備するなどです。何が必要かという
のは、その人その人で違ってきます。避難の状況になった時に、慌てずあせらず行動
していくようにしたいものです。
『島根からふたつの取り組み紹介』 島根ハーネスの会会長 三輪利春
長野県ハーネスの会の皆さま初めまして。島根ハーネスの会、会長の三輪利春と申
します。島根県では現在盲導犬が12頭活躍しています。ハーネスの会を設立し22
年がたちました。この度お友達である長野県ハーネスの会会長の池田純さんより島根
県の取り組みについて記事の依頼を受けましたので二つの取り組みを紹介いたします
。
◆島根県防災ヘリコプター「はくちょう」
島根県防災航空隊は、補助犬を使用する身体障害者の防災ヘリコプターによる救助
方法について検討、日本盲導犬協会の協力を得て、2021年1月21日(木)、島根県消
防学校にて実機による吊上げ救助訓練を開催しました。
この度の協力者、日本盲導犬協会から3名。訓練犬1頭PR犬1頭、ユーザー2名と盲
導犬2頭、点字図書館・県障がい者福祉課から参加がありました。
訓練開始前に訓練の目的や訓練で使う用具の説明がありました。人に付ける装置や
盲導犬に付ける装置(ハーネス)を示しながら隊員の方はてきぱきと「右手を出して
」「左手を出して」と指示されました。背中は逆三角形の防護服のような感じで、「
足を開いて」との声で足を開くと、又の間に落下防止のための20センチ幅の生地が
出ていて、その器具は胸近くまで延びています。先にバンドのような物で金具がつい
ていて、その金具は両肩から出ている金具に止められます。ヘリコプターから吊り上
げられるワイヤーロープに取り付ける金具とのことでした。
盲導犬には普段のハーネスを外して盲導犬をつり上げる為のハーネスを取り付けら
れます。つり上げるための器具は落下することのないように、強力なナスカンをつけ
ることができるチョッキのようなものを付けます。ヘリコプターから降ろされるワイ
ヤーロープでつり上げるそうで、アメリカ製で軍用犬などに使われているものだと聞
きました。隊員さんに「ハーネスを外してください」と言われ、盲導犬のハーネスを
外しました。また、「救助用のハーネスを取り付ける前に、補助犬が嫌がって隊員を
噛んだりすることがないよう、口輪を取り付けますが、いいですか」と聞かれ「はい
」と答えました。
※写真:島根県防災航空隊のデモ訓練。中央に三輪さんとアラン。
その後隊員さんたちがてきぱきと救助用ハーネスを取り付け、準備が終わりました
。次に、「しゃがんで足を伸ばしてください」と言われ、太腿の上に犬の腹を乗せる
ようにして、アランを左右の手で支えました。ヘリコプターから出てきたリフトのワ
イヤーロープに、人間のハーネスと盲導犬に着けたハーネスの先が取り付けられまし
た。ワイヤーが少しずつ吊り上がると体が徐々に浮き上がり、足も地上から離れまし
た。隊員さんも盲導犬を支えながらヘリコプターの入り口に誘導します。隊員さんの
声がけで、安心してヘリコプターの入り口に誘導され、スムーズにヘリコプターの中
に入りました。
機内に入って指示された所で座り、アランに付けているハーネスの20センチくら
い出ている金具を「ここを持って少し待っててください」と言われ、金具を持ってい
るととても安心しました。
私達ユーザーと盲導犬はヘリコプターが着地してエンジンを切った状態での訓練で
したが、訓練犬やPR犬は盲導犬協会の職員の方と空中でのヘリコプターによる本番
さながらの救助訓練で、緊張感を感じました。 隊員の皆さんが私達に声で次の行動
をてきぱきと出してくださることに安心し、とても頼もしく思いました。私の父も消
防士でした。すでに亡くなりましたが、父も隊員の皆さんのように、きびきびとした
態度で消火活動や人命救助をしていたかと思うと胸がジーンとしました。
※広島市消防航空隊による吊り上げ訓練風景
私達ユーザーは盲導犬と一緒に社会参加します。盲導犬が側にいないと一緒に歩く
ことが難しくなります。また、家族の一員であるパートナーをその場に残すことは辛
いです。この度の訓練で補助犬も一緒に救助されることを知り、ユーザーも盲導犬も
一緒に助かる可能性が増えると感じました。
現在広島市・広島県・島根県・新潟県・鳥取県などの防災航空隊でヘリコプターに
よる救助訓練が行われています。要請があれば近い地域の航空隊が救助に向かうとの
こと。視覚障害者と補助犬も災害時に一緒に救助する、この度の取り組みが全国の防
災航空隊に広がってゆく事を心から願っております。
また、日本盲導犬協会から災害時のヘリコプターによる視覚障害者と盲導犬の救助
訓練の動画が公開されています。動画作成は広島県防災航空隊・広島市消防航空隊・
島根県防災航空隊の協力のもとに作られました。音声ガイド付の動画です。臨場感あ
る救助訓練の様子を動画と音声ガイド付でご覧ください。YouTubeで、『災害時の視
覚障害者および盲導犬救助』と検索してください
◆補助犬の同伴避難理解促進ステッカー
私は2021年6月の梅雨前線や台風による線状降水帯などに不安を感じ、避難所へ補
助犬と同伴避難ができるよう、6月23日に県福祉課を通じて県防災危機管理課へメ
ールで要望しました。9月2日に日本盲導犬協会と一緒に10月24日(日)開催の島
根県総合防災訓練の補助犬ブース参加の打ち合せで、日本盲導犬協会1名ユーザー2名
で話を聞きました。そこで6月23日に提出した書類について聞きましたところ、6
月16日に厚生労働省から災害時避難所に補助犬との同伴避難を拒否してはならない
という事務連絡が全国の都道府県や市区町村に送られたことを知りました。また、厚
生労働省の事務連絡が2021年4月から紙媒体でなく、デジタル化されたことを聞きま
した。島根県では厚生労働省の事務連絡を重要視し、県内市町村の担当部署に向けて
厚生労働省の事務連絡と一緒に文章で通達したことを知りました。送られたのが7月
8日頃です。同時に災害時避難所へ補助犬同伴避難のことをホームページに掲載され
たことを聞き、びっくりしました。鞄の中に要望書を持っていたのを出さずに帰りま
した。
そして、補助犬が避難所に入れることのチラシを作り、10月24日(日)開催の島
根県総合防災訓練で、4頭の盲導犬も参加して皆で啓発活動をしました。
島根県は今年の3月31日、避難所に事前に貼る補助犬同伴避難ステッカーの制作
について、報道発表されました。災害時の避難所でも、身体障害者補助犬の受け入れ
が義務付けられていることを避難所の運営者にあらかじめ知っていただき、また、受
け入れにあたり注意する点などを相互に理解するため。もっと多くの人に避難所に補
助犬も入れる事を知っていただきたいことや、わかりやすい周知の方法として避難所
用「補助犬同伴可」ステッカーが制作され、県内の指定避難所となる施設の入口に啓
発ステッカーが貼付されました。日頃から、その施設を利用する方々に、理解を求め
ると同時に、災害時の協力をお願いするそうです。
島根県の報道発表のページに、①目的、②経緯、③周知方法など詳しく書かれてい
ますので下記ページアドレスからぜひごらんください。
https://www3.pref.shimane.jp/houdou/articles/156501 以上です。
長野県ハーネスの会のますますのご発展とご繁栄を出雲の国からお祈りいたします
。
この度は記事を書かせていただき真に有り難うございました。三輪 利春&アラン
《スポーツ/ブラインドサッカー》
『ボクのマレーシア奮戦記』 日本代表チーム 平林 太一
平林太一さんは今年4月に松本盲学校から美須々ヶ丘高校に入学。すぐにブライン
ドサッカーユーストレセンのメンバーとしてマレーシアに遠征。この11月にはブライ
ンドサッカー日本代表選手としてインドで行われた、アジア・オセアニア大会に出場
しました。今回、マレーシアでの試合経験を会報に寄稿してくれました。
※写真:教育長への表敬訪問時の写真
僕は8月3日から8月8日の期間にブラインドサッカーユーストレセンのメンバー
としてマレーシアに行ってきた。4年前にもユースはマレーシアに行っている。しか
しその時とはメンバーも大きく違う。そしてその時よりも今の方が成長したという絶
対的な自信があった。4年前は僕個人としてもチームとしても何もできなかった。そ
の雪辱を果たすという意味でも今回の遠征は大事になってくる。
そして僕にとってこの遠征にはもう一つ大きな意味がある。これが僕のユースで過
ごす最後の時間という点である。7年半という長い時間をユースで過ごし代表に昇格
した。それを持って僕のユースでの期間も終了だ。ユースのメンバーと試合をするの
も今回が最後になる。選手にもコーチにも安心して代表に送り出してもらうために今
回は絶対に活躍したいと思った。
8月3日の朝、羽田空港から離陸した。久しぶりに日本から離れることもあり興奮
したのを覚えている。
クアラルンプールの空港に着くとバスで2時間ほどかけて宿泊場所へ移動した。
4年前の経験からホテルはあまり期待していなかったがいい意味で予想を裏切られ
た。二人部屋ではあるが部屋は広く風呂も二つあり景色も好いらしい。極めつけは食
べ物だ。マレーシア色を出しながらも食べやすい料理だった。こんな環境を用意して
くれた人たちに感謝しかない。
入国して1日が立つとピッチに入って練習ができるようになった。外国に来て1番
苦しむのはピッチの芝への対応だと思う。深いところ浅いところ、ボールの勢いが伸
びるところ、死ぬところといろいろなピッチがある。今回、芝は比較的短くボールの
勢いは伸びるピッチだった。さらに壁の跳ね返りは激しい。芝は比較的日本に近い部
分はあるがちょっとしたピッチの変化に僕も含めて少し戸惑った。特にスローを受け
るのが難しくキーパーとも何度も打ち合わせをした。
30分ほど練習をしたところで雨が降りだした。雨は勢いを増し雷も鳴りだした。
雷がなると練習が続けられないためその日はそこで打ち切りとなった。
次の日(8月5日)には試合があった。午前にはマレーシアのユースチームと、午後
にはマレーシア代表チームと試合が入っていた。
前日練習が十分にできなかったのはあるがコンディションはよく迎えられた試合日
。
ピッチに出ると地面は前日の雨で濡れていた。わかってはいたものの少し残念だっ
た。試合前というのは、独特の緊張感がある。内臓が絞られているような気さえした
。腹が痛くなるのもよくあることだ。そんな緊張感の中スタメンが発表された。初戦
は若手中心のメンバーとなり僕はベンチスタートだった。
試合が始まると緊張なんてものは忘れてしまう。ただ試合に集中する。試合はスコ
アレスな展開が続いたが日本の方が攻めていた。4年前とは違う。ベンチから見てい
て僕らは強くなったんだと実感した。
前半の途中から僕はピッチに入った。最初はなかなか思ったプレーができず本当に
もどかしい時間だった。
0‐0で迎えた後半残り3分。やっと足にボールがついてきた僕はハーフラインで
スローを受けて前線へドリブルをしていった。ディフェンスに当たられながらも苦し
まぎれに打ったシュートはゴールの左下に突き刺さった。まだ勝ったわけでもないの
にほかの選手や監督と抱き合ってしまった。それだけうれしかった。この1点はただ
の1点ではなく、僕やほかのメンバーの今までの努力が最高に報われた1点だったと
思う。試合はそのまま勝利。大きな一勝をあげた。
興奮も冷めきらない中、午後にはマレーシア代表との試合が待っている。でもこっ
ちも勢いはある。僕らは自信にあふれていた。そして今思えばこの試合がこの遠征で
一番思い出に残る試合になった。
この試合はスタメンでの出場になった。 試合は白熱の展開を見せた。代表相手と
はいえ日本のユースチームは互角に戦えている。やっぱり勢いはこっちにあると確信
した。そんな中、前半の半分ほどが経過したところで僕は午前と同じように苦しまぎ
れの当たりそこないのシュートを打った。弱々しいあたりはそのまま右ポストに当た
ってゴールに吸い込まれた。蹴った瞬間は入るとは思わなかったようなころころシュ
ート。まさに勢いがあり運があるから入ったような気がした。それでも得点は得点、
みんなで抱き合って喜んだ。
しかし試合はそのままでは終わらず後半にアクシデントが起きた。チームを支える
ような主力選手が激しい接触によって負傷後退。さらに僕も恥ずかしながら左足のふ
くらはぎが思いっきりつってしまい交代。自分で言うのもなんだが、ユースはこの二
人が攻守の中心だった。正直心配だった。リードは1点しかない。残り時間はまだ1
0分もあった。ここへ来てチームに迷惑をかけている自分が恨めしく感じられた。手
当を受けながらボールの音と選手たちの声に集中する。みんな全力だった。それに少
しでも力になりたいとプレーが切れれば僕も全力で声をあげた。
すでに相手のファール数は8個に到達し、第2PKも3回決定したが追加点は取れな
い。そんな中、日本のキーパーのファインセーブもあった。まだユースに入って日が
浅いそのキーパーに胸を打たれた。祈ることしかできなかった。交代してから試合が
終わるまではものすごく長く感じられた。そのまま試合の終了を知らせるホイッスル
がなる。思わず涙が出た。勝利がこんなにうれしいのはいつぶりか。体の芯から達成
感や喜びが湧き上ってきた。4年前にマレーシアに来たときからここまで積み上げた
ものは本当に大きなものなんだと改めて実感した。みんなが頑張って助け合った結果
。文字通りみんなでつかみとった勝利。これがブラインドサッカーの、スポーツの醍
醐味だと思った。ユース最後の遠征でまた原点を体験できて本当によかった。
この勝ちは、僕以外も相当嬉しかったらしく夕食のときも非常に盛り上がっていた
。その流れで僕を含めた数人が格好つけて一番辛いという唐辛子を一気食いして見事
に自爆したのも好い思い出だ。本当に辛すぎてその後温かいものが食べられなくなっ
た。しかし外国の考え方なのか、ホテルの方がご飯がなくなるたびに無言で盛り付け
ていった。おかげで腹はパンパンだった。
楽しく充実した午後を過ごした裏で悩んでいる選手もいた。僕と同部屋だった中2
の選手である。「今日も何もできなかったユースで主力を張っている選手のようにな
りたい」とそう相談してきた。僕の練習量やどんな練習をしているかなど、たくさん
のことを聞かれた。でもその選手のどこでも守れるユーティリティー性や、キープ力
は感心するものがある。僕はそのことも伝えたが本人は満足できないようだった。ふ
と昔の自分とその選手を重ねてしまった。
僕もユースに入ったときは力の差や、自分の無力さに悩んだことがあった。そのと
き僕はどうしたか。誰にも相談せずに、ただただサッカーを続けていた。でも結果が
出ずサッカーが苦痛になっていた時期があった。それでもやめることはなかった。サ
ッカーが好きだから。今僕の横で悩んでいる選手は高みを目指して僕に相談しに来て
いる。相談する声は暗く悩んでいることが伝わってくる。でもまだあきらめていなか
った。「こいつもサッカーが好きなんだな」と思った。
サッカーが心から好きで本気で頑張っていれば、必ず進化できるときが来る。僕は
そう思っている。僕は思ったことを素直に伝えた。彼が求めた答えだったかはわから
ない。ただこの選手と日本代表の舞台でライバルとして高めあい、仲間として助け合
えるときが来ることを願いながら話した。
※ブラインドサッカールールの説明図
※写真:11月に行われたアジア・オセアニア大会でゴールを決め、皆にハグされる平
林君
次の日、この日も日本ユース対マレーシアユース、午後には日本のユースとナショ
ナルトレセンを合わせた育成部対マレーシア代表の試合をやって試合日程は終了だ。
午前の試合で僕がユースとして試合に出るのは最後になる。また濡れたピッチで試合
が始まった。試合は膠着していた。僕は体力がきつくなり前半途中で交代した。
後半、まだ0‐0の中 再びピッチに入った。ピッチに入る前、監督にも言われた
。「おまえはこのメンバーとやるのは最後になるから楽しんで来い」。やばい!鼻の
奥がジーンとする。この監督には僕も本当に感謝している。選手ファーストでいつも
寄り添ってくれた。選手もそうだがこの監督の下でプレーするのも最後なのかと思う
と悲しかった。
同点で終わらせるわけには行かない。高ぶった気持はプレーに結びついた。ピッチ
に出て最初のプレー。スローを受けて一人ずつかわし、ゴール右寄りからゴールの左
下に向かって足を振りぬいた。直後に響くホイッスル。叫んでいた. あまり声は出な
かったけど。涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔も気にならなかった。
僕らは歓喜にあふれていた。ユースだけでの試合は無失点で終われた。僕自身もす
べての試合で決勝点をあげられた。少しでも安心してみんな僕を送り出してくれるん
じゃないかと思った。チームとしての成長もみんなが感じていたと思う。このまま午
後も勝って全勝するぞと気合を入れた。これから地獄が始まるとも知らずに。
午後、日本はユーストレセン・ナショナルトレセン合同での試合になった。その中
でも僕はスタメンになることができた。
試合が始まって5分ほど。僕に交代が告げられた。そしてそのままみんなから離れ
たピッチにつれていかれたのだ。少し戸惑っているとスタッフの方が衝撃の事実を僕
に告げた。「太一にだけコロナ陽性反応が出ました」「僕がですか?」と2回聞いて
しまった。ここへ来て前日から喉が痛かった原因がわかってしまった。叫びすぎ、も
しくは唐辛子のせいだと決めつけて無視していた。ユース最後に最高にやらかし、隔
離生活が始まってしまった。
PCR検査でいつまで経ってもマイナスが出ないため大使館に頼んで帰国の許可を得
たのは8月17日のことだった。この頃には熱も下がり、喉もよくなって食欲もあった
。ただ少し咳が出る程度。コロナの辛さもしっかりと勉強して8月19日にみんなより
10日遅れで日本に帰国した。僕がほかの選手たちよりも得をしたことといえばマレー
シアの食べ物をたくさん食べられたことくらいだろう。それでもこれはいい経験だっ
たと無理やり解釈した。
マレーシア滞在中はここに書ききれないくらい色んなことがあった。4年前の雪辱
も果たしたと言っていいと思う。そしてユースでの7年半が終わった。この間、たく
さんの人が入って抜けて最初にいたメンバーで今もいるのは、僕を含め二人になって
しまった。その中でここまで残り代表入りできたことを誇りにさらに上を目指してい
きたい。(了)
編集後記に代えて 「盛りだくさんな内容の今号。じっくりお読みくださ~い!」
/ * / * / * / * / * / *