会報「ハーネスながの 第52号」


ハーネスながの No.52 2017年12月
発行:長野県ハーネスの会 池田純
〒381-0043 長野市吉田3-16-13
      (株)Jハート内
      Tel.026-214-0802
      http://www.harness-nagano.com
      振込み:ゆうちょ銀行00570-7-17991
      「長野県ハーネスの会」
松本市のMウイングにて第2回運営委員会開催
広沢里枝子
開催日時:2017年10月1日(日)
午前10時30分~午後2時
会場:Mウイング403
出席者:ユーザー会員5名、賛助会員5名
◆出席者の近況報告
出席者10名全員が、近況報告を行った。
◆新会員紹介(加藤)
上伊那郡中川村の佐々木育子さんが新しく会員になられた。
7月に訓練を終え、盲導犬ユーザーになられたばかり。
パートナーの名前はジップ。
日本盲導犬協会出身。
◆信濃美術館のワークショップについて(池田)
「信濃美術館整備県民リレーワークショップ」は、長野県下、4箇所で開かれた。
「長野県ハーネスの会」からも、視覚障害者も、触ってわかる常設展示をしてほしいこと、対話型鑑賞のできるガイドボランティアの養成をしてほしいこと、
パンフレットや掲示を点字や音声でもわかるようにしてほしいことなどを要望。
ワークショップには、
池田純会長、会員の原哲夫さん、古田綾夫さんなどが出席して意見を述べた。
◆神戸と大阪の美術館・博物館見学について(丸山・広沢)
坂田雄之さんにバスを運転していただいたおかげで「六甲山の上美術館」や、
「国立民族学博物館」に初めて行くことができた。
台風が去って、天候にも恵まれ、良い旅になった。
「六甲山の上美術館」では、ほとんどの作品にさわることができた。
カメオの彫刻や、水晶の置物など、貴重な作品にもさわれた。
「国立民族学博物館」では、さまざまな民族の道具や、衣装、文化財など、本物にさわり、見分を広げることができた。
◆上田市における視覚障害者のしなの鉄道事故死について(池田)
6月22日、上田市中之条に住む視覚障害のOさん(75才)が、
上田市のしなの鉄道上田―西上田間の「天神踏切」近くで
快速列車にはねられ死亡する事故がおき、現場検証に2度参加した。
Oさんは、自宅から上田駅まで歩いて向かう途中、新設された交差点で方向感覚を失い、誤って踏切に立ち入った可能性がある。
ハローワーク前の信号で、方向を失ったまま、方向を修正できなかった可能性が高い。
この信号は、押しボタン式の歩車分離信号で、しかも三叉路になっている。
視覚障害者には、ボタンが押しにくいうえ、
車が止まれば、音も消えて方向がとれなくなってしまう危険な信号である。
点字ブロックも、コンクリート製で、わかりにくかった。
上田市職員等を含めた現場検証では、会長から、
ボタンを押す場所に、ポッポッと音声の出る装置を付けてほしいこと。
渡る方向がわかるような音響信号やエスコートゾーンを工夫してほしいことなどを
その場で要望した。
《写真》近くの線路上で死亡事故があった上田市の「天神踏切」
◆浅間温泉の歩車分離信号の設置について(丸山)
2年前に丸山夫妻の家の東側の松本市浅間温泉1丁目野球場西の信号機が変わり、
歩行者と車が分離式となり歩行者は四コーナーの押しボタンを押さなければ
通行できなくなってしまった。
そのボタンの位置がそれぞれまちまちの位置にあり、探すのに苦労するし、
押すことができたとしても、渡り口から離れているので、
また、もとの位置に戻って渡らなければならず、
方向を間違えれば、斜め横断ということになりかねない。
更に2か月前には、丸山夫妻の家の西側の第一高校正門前の信号機も
同じ信号機に変わる旨の連絡があり、こちらはバスの通る道で、毎日利用するので、
大変困ることになった。
そこで、長野県ハーネスの会の会長の池田純さんと、
松本市視覚障害者福祉協会会長の前野弘美さんに相談した。
お二人には、県警に出向いて文書を出すなど働きかけをして頂いた結果、
工事はしばらく延期して押しボタンの場所を知らせる音を出す機械か、
歩行者が来たことをセンサーでキャッチできる機械が予算で確保できるまで
現状維持となった。
このような押しボタン式の歩車分離信号が安全だと思われて増える傾向だが、
視覚障害者には不便で危険。
以前のようなカッコウとピッピが定期的に鳴る信号機が望ましい。
◆長野県補助犬給付要項の「身障手帳1級の者に限る」の規定について(池田)
長野県の補助犬給付要綱の中にある「身体障害者手帳1級の者に限る」という規定を
改正してもらうように、県に要求する件について、出席者の賛同があり、
会長が改正私案を作ることになった。
【各部会から】
◆ウエルカムチーム(丸山)
・今年も、松本市で開かれた「手まり時計祭り」にエクセラン高校の皆さんと参加。
盲導犬の人形劇では、駅ホームからの転落防止を訴える内容を含めて人形劇をやった。
前野さんと丸山さんは、盲導犬への理解を広げる発表をした。
エクセラン高校の生徒さんは、無料で手のマッサージをして、募金を集めてくださった。
・新しく募金箱を設置してくれる人があったら、申し出てほしい。
・イベントのおりなどに配れるように、
大阪のボランティアの方が、革製の犬の形のストラップを作ってくださった。
出席者で話し合った結果、まずは小さなサイズのものを100個註文し、
イベントや、集まりのあったおりなどに300円で販売することになった。
◆事務局チーム(細田)
・ユーザー会員、支援者会員の皆さんに会費の納入をお願いしたい。
今年度、まだ会費の納入のないユーザー会員に、振込をお願いすることや、
会員名簿の整理の仕方について話し合った。
・会にご寄附くださった方や、貯金箱を置いて募金に協力してくださった方々への
感謝状や、機関誌の送付について話し合った。
◆編集チーム(前野)
・機関誌のカセットテープ版の製作は難しいため、
機関誌のカセットテープ版は、終了したい。
話し合った結果、機関誌のカセットテープ版は終了することになった。
カセットテープで機関誌を読んでおられた5名の方には、CD版に移行していただけるよう、お願いすることとした。
CD版は、普通の音楽を聞くプレイヤーでも、プレクストークでも聞くことができる。
【その他】
◆提案・情報
・次回、3月4日の運営委員会後、募金活動を行う。
その際、募金活動の趣旨を明らかにするチラシの製作などの工夫をする。
・来年のハーネスの会の旅行では、
東京のお台場にある「そなエリア東京」に行き、防災について勉強しよう。
(池田)
・「ホーム転落をなくす会」製作のポスターを預かっている。
これは身近な駅に貼っていただくのが効果的。
「ホーム転落をなくす会」と「長野県ハーネスの会」から
しなの鉄道の各駅に掲示を依頼したい。
(広沢)
・栃木のエクランというメーカーで、盲導犬用の靴を作っている。
2000円で買える。
クーピーは、抵抗なく履いて、脱げてしまうこともなかった。
ただ、大注目を浴びてしまい、この夏は、あまり履かなかった。
(加藤)
・坂本隆久先生が、盲導犬のフリサの銅像を作り、
その銅像を奥様が長野盲学校に寄付してくださった。
立派なもので、長野盲学校の玄関にハーネスを付けて立っている。
(加藤秀)
会長所感
一昨年の10月、
徳島の山橋さんが、バックしてきた2トントラックにひかれてなくなって以来、
駅ホームからの転落事故が続き、盲導犬に対する虐待が疑われる動画拡散と、
盲導犬をめぐるニュースが続いています。
この間、「長野県ハーネスの会」としては、県庁での記者会見、鉄道事業者との懇談会、長野県・長野市への要請行動等を行ってきました。
その結果として、改善されたこと、課題として残っていることがあります。
改善されたこととしては、鉄道事業者の対応です。
駅員が常駐している駅であれば、
突然乗ろうとしても100%対応してもらえるようになりました。
ただ、駅員間の連絡のために、乗る電車が限定されることで、
目的地への到着時間が遅れがちになってしまうことは残念ですが。
また、乗客も声をかけてくれる人が確実に増えています。
一方で改善されていないこととしては、命に関わる歩車分離信号の増加です。
浅間温泉の2基の信号については、地元の丸山さんの迅速な訴えにより、
今でも設置は検討中です。
しかし、上田では、私たちの知らない間に歩車分離信号が確実に増えています。
加えて、新たに整備された歩道上の点字ブロックの上にプランターが置かれていたり、
設置されていたエスコートゾーンが、道路の改修工事の際に削られてしまい、
歩道に近い部分にその残骸だけが残っています。
また、歩道上の誘導ブロックが、車道と反対側の歩道の端に近い所に設置されているため、植木の枝や電柱にぶつかりやすくなっています。
さらに、善光寺の参詣については、
一昨年の4月に、長野県、長野市に改善の要請をしましたが、
具体的な対応をした形跡は全くなく、
善光寺は当たり前のように、今でも入場制限をしています。
現在進行中の信濃美術館の建て替えについては、
原さんからの提案で、早期の対応をしたことで、
視覚障害者にも楽しむことのできる美術館になる可能性が出てきました。
盲導犬の医療費の助成等、大きな課題がいくつもありますので、
一歩一歩改善に向けた行動をしていきたいと考えています。
触れて味わう神戸・大阪の旅広沢里枝子&ジャスミン
今年の9月。
台風が去った後の秋晴れの二日間。
私と盲導犬のジャスミンは、坂田雄之さんの運転するバスに乗せていただいて、
仲間たちと一緒に神戸、大阪へ旅をしました。
坂田さんは、長野県ハーネスの会にいつも力を貸してくださっていて、
今回も、私たちの希望を聞いてこの旅の計画をされました。
目的地は、目の見える人も見えない人も、作品にさわって楽しめる
「六甲山の上美術館さわるみゅーじあむ」と、
実際にさわって聞いたりできる展示品をたくさん置いている「国立民族学博物館」でした。
まず1日目に行ったのが「六甲山の上美術館さわるみゅーじあむ」です。
この美術館は、名前のとおり、六甲山の山の上にあって、ロープウエイに乗って行きます。
このロープウエイが、木造りの座席で、ガッチャンガッチャンと音をさせながら、
ゆっくり山肌を登って行くクラシカルなロープウエイで、蝉の声や、川音も聞こえて、
懐かしい雰囲気でした。
こうして到着した「六甲山の上美術館さわるみゅーじあむ」は、小さな美術館でしたが、ほとんどの作品をさわって楽しめるようになっていて、見えない私たちも、
ゆっくりじっくり、作品を味わうことができました。
美術館の入り口から、
大きな建築物と、小さな大勢の人間を表した金属作品がたくさん並んでいました。
中でも、倒壊寸前のビルを大勢の人が驚いて見上げている、
阪神大震災を表したという作品は、
さわっているうちに、体が冷え冷えするくらい響いてきました。
そして、私が、ほっとするなあと感じて好きだったのは、
浅賀正治さんという方の「対話」という作品でした。
磨き上げた大きな大理石を二つ並べた、シンプルな作品ですが、
その石が、片側を前に出し、片側を引いて、お互いを感じ合うようにしながら、
いい距離感で向きあっているのです。
思わず撫でまわして、笑顔になりました。
私たちが二日目に行ったのは、大阪の万博公園にある「国立民族学博物館」です。
世界最大級の博物館機能と、大学院教育の機能を備えた文化人類学・民俗学の研究所で、私はこの民族博物館には、何年も前から行ってみたいと思っていました。
素晴らしく立派な施設で、ここはユーラシア大陸の部屋、
ここはアメリカ大陸の部屋というように、
世界を巡って民族の歴史や文化を展示しています。
短い時間では、とても見切れないですが、さわったり、聴いたりしてわかる展示が、
非常にたくさんありました。
例えば、チリ領のイースター島にあるモアイ像(人の顔をした巨大な石像)、
本物(大きさ)にさわれて圧巻でした!
こんなたくさんの本物に実際にさわれる場所が日本にあることは、
本当に貴重なことだと感じました。
「国立民族学博物館」では、「民博ミュージアムパートナーズ」といって、
博物館の活動を支えるボランティアの方々が、
視覚障害者のために展示場の案内もしてくださいます。
今回は、うまく予約ができなくて案内はお願いできませんでしたが、この民族博物館には、また何度でも行ってみたいし、
特に見えない子どもさんや、若い人たちは、ぜひ、行ってみるといいと思いました。
長野県でも、「信濃美術館」の全面改築に向けて、
今年は、各地でワークショップなどがおこなわれ、「長野県ハーネスの会」でも、
県に意見書を出しました。
美術館というと、私達視覚障害者には、ガラスケースに入って、さわれないものばかりで、行ってもほとんどわからないというのが、これまでの状況でした。
新しくなる「信濃美術館」では、視覚障害者も美術館を訪れる者として、
ぜひ位置づけていただきたいと私達は願っています。
設備面の配慮はもちろんですが、いつ行ってもさわることのできる常設展や、
館内を案内してくださるボランティアの養成なども、
実施していただけるよう、期待しています。
スポーツ吹き矢体験安曇野市古田綾夫
穂高の古田です。
11月の中旬に、我が安曇野市の「にこにこの会」で、
見えない人の吹矢の体験会を行ないました。
なかなか良かったので、概要の紹介をします。
吹矢は、ご存知の方もおられますが、その昔には、おもちゃ屋や、祭りの、
露天などで売っていた紙のパイプに、三角錐の紙で造った矢をパイプに入れて、それを、口にくわえて、息で吹き飛ばす遊びでした。
うんと昔には、忍者が武器にしていたとか、今は、獣医さんが、
猛獣に、麻酔薬を打つのに使う程度しか聞きませんが、なんと、現代の吹矢は、
弓道のように、矢を射るのに、形・作法が付いていたのです。
初めから、終わりまで流れるような、無駄の無い、格好が良い、
動きの作法となっていました。
まあ、そのうちに、吹矢道となるかも知れません。
しかし、我々は見えませんので、その作法は、無しにしてもらいました。
講習会には、長野県吹き矢北アルプス松本支部の皆さんから、4人の方に来てもらい、
吹矢の用具一式を、お借りしました。
用具の設置で矢が当たる、的は、組み立て式で、
パイプを組み合わせた、脚が付いた高さ1メートル70センチくらいでした。
そこへ50センチ四方くらいのプラスチックの的が付きます。
その的の両側へ縦に、音が出るセンサーが設置されていました。
真ん中には、光が出て、それを狙える、弱視の方への配慮もありました。
この的は、矢を飛ばすパイプが、いつも水平になるように、
それぞれの身長によって、上下ができる仕組みでした。
口で吹く、パイプは、長さ1メートル20、直径15ミリくらいです。
矢は、長さ15センチくらいで、半分は、薄い紙製で、円錐形の羽をつくり、その先に、細い金属棒があり、その先は、3ミリくらいの球状になっていました。
我々は、矢を入れた袋を胸にさげて、パイプは、口にくわえますので、
配布をされた、自分用のマウスピースを差込み、5メートルくらい先の的に向かい、
パイプを、水平に構えてから、的の高さの調節をします。
狙った筒の先が、的のセンサーに向かうと、音がでます。
音をたよりに、左右、上下を決めて、溜めた息をふっと吹き込むと、
なんと矢は、音も無く遠くまで飛ぶのです。
なかなかの快感です。
的に当たると、ぷつっと音が聞こえます。
これもなかなかいい心持でした。
自分の判断で、遠くまで飛ばし、そこから、手ごたえがあるのも、
日常では、得られない気持ちになります。
参加の皆さんと大いに楽しみました。
矢を射る息は、腹式呼吸で、健康にも良いとか、また、的の光は、まぶしい人もいるので、赤外線にするとかで、これからも見えない人への改良を進めるそうです。
個人用のマウスピースを含めて無料でした。
少々の、ガソリン代をもらってもらいました。
以上でした。
生け花に再挑戦岡谷市北澤とも江
3年前のこと。
岡谷市内に住んでいて、私と同じように中途失明したNさんとたまたま雑談をしていた。
目が見えなくなってからあきらめてしまったことなどを話しているうちに、
趣味の話になった。
私たちふたりは、どうやら同じ流派の生け花を習っていたようだ。
北澤:「本当は今だって玄関に生け花を飾りたい。
花を飾るのが当たり前だった私に戻りたい。」
Nさん:「うちの家族は、主人と息子がふたり、おまけに飼い猫までがオス。
男ばかりじゃ色気が無い。
せめて玄関にお花を飾って華やかな家にしたい。」
何故、今、私たちは生け花を習うと言う普通のことが出来ないのか、
どうしたら実現出来るのか、ふたりであれこれ言葉にしてみるとこういうことになった。
【何故、出来ないのか?】
①目が見えない人に教えてくれる先生がいるのだろうか?
②ひとりでの外出が困難になったため、教室に通うことが出来ない。
③目が見えなくなったから出来ないと自分で決めてしまっている。
【どうしたら実現出来るのか?】
①自宅に出張して教えてくれる先生がいれば出来るのではないか。
Nさんの希望は自分の家でお稽古をして欲しいというもの。
②花ばさみの使い方を知っているのだから、
目が見えなくても自分がやろうと思えば出来る。
まったく何と簡単なことだろう。
しかし、こんなに簡単に解決策が思い浮かんだ背景には、ひとりではない、という強み、同じ条件を持っている仲間がいたからであったろう。
実は運も良かったのである。
私にはふたりの希望にぴったりの先生に心当たりがあった。
私が教えていただいていた先生とは、お稽古を辞めた後もずっとお付き合いが続いていて、毎年年末になると、「せめて、お正月のお花くらいは・・・。」と心配してくださり、
ボランティアとして先生が我が家まで正月用の生け花を活けに
来てくださっていたのである。
さっそく先生に相談したところ、快く私たちの希望を承諾してくださった。
もやもやしていた霧がパッと晴れたように胸がすっきりした。
うれしかった。
それからの3年。
Nさんの家に月2回集まって、約1時間、活け終わったお花を鑑賞したり、
雑談にも花を咲かせている。
生け花は季節の先取りでもあり、家にいながらにして、季節を感じることも出来る。
私は幸いなことに、夫が車で送り迎えをしてくれるので、段ボールに花器を入れて、
活けた花をそのまま持ち帰ることが出来る。
よく、見えないのにどうやって花を活けることが出来るのかと人から聞かれる。
【目が見えなくても生け花が活けられる仕組み】
①生け花は2等辺3角形、あるいは不等辺3角形に配置するのが基本なので、
その形をイメージする。
②先生がその日の花の組み合わせ、葉っぱの付き方で表裏がわかること、
枝ものと花の特徴、花の色について、細かく説明してくれる。
③花材をよく触ってみる。
ただし、花そのものに触る時には注意する。
枝や茎の長さを計る目安は、一番高くする花材は、使う花器の長さの倍くらいで決め、
そこから長さの調整をしていく。
④花ばさみで自分の指を傷つけないようにすることは、包丁を使って料理するのと同じ。
⑤最後の仕上げは先生が微調整してくださっている??。
だから安心である。
【周囲の反応】
Nさんの場合:ご家族が思いのほか喜んでいるようだ。
花がしおれたり、枯れたりしたとき、息子さんが気を配っているらしい。
ご近所の方も口実を作ってNさん宅を訪問。
写真を撮っていく人もいるとのこと。
北澤の場合:玄関に花が飾られていないと「あれ?花は?」と言われる。
孫娘が興味を持ったらしく、子供生け花講座に参加しているそうだ。
夫は水を足したり、枯れた花ガラをそれとなく取り除いてくれているらしい。
こうした周囲の協力や応援もあって、Nさんも私も趣味としての生け花が再開でき、
生活にはうるおいが増し、花を確保しているという心のゆとりが得られるようになった。
2017年12月29日記
《写真》玄関内に飾られた2018年正月用の花。
花材は、若松、黄色い菊、ピンク色に白いふちどりのある葉ボタン、赤い実をつけた千両。
旅は犬連れ世は出合い⑪リレーウォーク≪天竜川に沿って遠州灘へその3≫
飯田市 原哲夫
〔県道1号線を行く〕その2
◆並走するJR飯田線は秘境駅地帯
長野県と愛知県を結ぶ県道1号線の対岸に当たる天竜川東側には
JR飯田線が併走しています。
中井侍(なかいさむらい)駅の南隣は静岡県の小和田(こわだ)駅、
そして大嵐(おおぞれ)駅と続きます。
小和田駅は全国秘境駅ランキングで常にトップの地位を占めています。
鉄道以外には近づけない、駅の周囲には人家が見あたらないなどが秘境駅の定義とか。
確かに小和田駅は正真正銘その条件を満たしています。
30年ほど前までは駅から1㎞ほど山道を行った所に数軒の民家があったようですが、
現在では樹林に覆われて跡形もないようです。
対岸の愛知県道1号線からも小和田駅付近に通じる橋はありません。
駅には単線ホームがあるだけで電車が停車するとその東斜面は山林が広がっています。
反対側の駅ホームの西側は直ぐ天竜川となり、そこは佐久間ダム湖の上流部に当たります。
対岸は愛知県豊根村とみやま富山地区の北端辺りですが人家はなく、
山林また山林と斜面が続きます。
小和田駅からトンネルを抜けると大嵐(おおぞれ)駅です。
大嵐駅のホームは島型になっていて列車の行き違いができるようになっています。
駅舎の一部も残っていて屋根付き待合室もあります。
駅の周辺には嘗て小さな集落はあったようですが
現在は駅の隣に空き家が1軒だけあります。
駅前広場の先には天竜川(佐久間ダム湖)に架かる約100mの鷹巣橋があり
対岸は豊根村富山地区の中心部です。
大嵐駅は静岡県側にありますが
利用者は専ら愛知県の富山地区の住民ということになります。
今回のリレーウォークでは本当に何回も、多分、10往復ぐらいは
電車に乗って県境のこの辺りを通りました。
飯田方面からのお客は先ずぬくた温田駅で高校生がぞろぞろと降ります。
対岸のあなんちょう阿南町にある県立高校の生徒です。
そして天竜村の中心である平岡駅を過ぎるとピタっと乗降がなくなり、
中井侍駅を過ぎて静岡県方面とのお客の行き来は普通列車ではまずゼロです。
逆に静岡県側の佐久間駅やみさくぼ水窪駅方面から乗車して県境を越えてくるお客も
平日はまずありません。
朝9時ごろの豊橋行きに乗っていたときのことですが
中井侍駅の一つ手前のいな伊那こざわ小沢駅で一人のおばあさんが降りると
2輌編成の電車に乗っていたお客は私たち2人とガイダだけ、
隣の車両は誰もいないと同行のKさんが伝えてくれました。
県境の前後3駅では車内の状況は変化なく、
静岡県に入って3番目に当たる水窪駅で2人のおばあさんが乗り込んできました。
この辺りが飯田線の空白地帯ではないかと思います。
◆嘗て日本で最も人口の少なかった村は今
愛知県道1号線は天竜川右岸(西側)を長野県境から静岡県境となる佐久間ダムまでの
約30㎞です。
全線が佐久間ダム湖(天竜川)の形状に沿って
うねうねと曲がったり地形に合わせて山鼻をトンネルで抜けたりしながら
北から南へと峡谷を縫うように続いています。
この区間は今は全て愛知県北設楽郡豊根村に含まれます。
愛知県の最東北端に位置します。
進行方向の右側からは山林斜面や落石を起こしそうな急崖が迫り、
左側下方には佐久間ダム湖という風景です。
県道1号線はこのような言わば崖縁を通っているのですが、
途中に一か所だけ西側斜面が緩やかになり、
幾分か空が広がって道路に沿うように平地が細長く続く地籍があります。
豊根村富山地区です。
静岡県の大嵐駅の対岸に当たり鷹巣橋を渡った辺りから
南北2㎞ぐらいの範囲に民家があります。
大嵐駅から20分ほど歩くと富山地区の中心部です。
駐在所、診療所、役場支所、JA出張所などが道路を挟んであります。
押しボタン式信号機のあるT型交差点もあります。
駐在所の前で住民4人が立ち話をしていたので
私たちは軽く挨拶をしてちょっと話に加わりました。
最近名古屋市近郊から移って来たという初老の夫婦、
駐在所の奥さんと近くの主婦という顔ぶれです。
「飯田から来た。」というと
山登りが目的かと聞かれました。
近くに奥三河地域では名の知られた山があるようです。
そんなやりとりの中で富山地区の今の姿について雑知識を得ることができました。
旧富山村は2005年に豊根村に編入合併されたこと。
編入される時点では離島部を除いて全国の市町村で人口の最も少ない村であったこと。
そのときの人口は218人だったと具体的な数字を挙げて教えてくれました。
村がなくなって10年以上過ぎた今も
旧村民には忘れ難い数字として記憶されているのだろうと思いました。
因みに2017年現在の住民数は約80人だそうです。
更に2年前の3月に富山小中学校が閉校になったこと。
日常の生活についても聞かせてもらいました。
診療所は週1日だけ医師が出張してきて診察がある。
入院したり緊急時には県内の東栄町(とうえいちょう)にある国保病院か
長野県立阿南病院まで行く住民もいる。
また、日常の買い物は大嵐(おおぞれ)駅から電車にのって
静岡県の水窪町(みさくぼちょう)ですることが多いが、
ときには東栄町や飯田市まで出かけることもあるとのことです。
富山地区は行政的には豊根村の一部ではあるのですが
村の中心部からは山間地を越えて谷を下ること東へ20数㎞、
慣れた運転でも50分近くかかるとか。
村内でも孤立遠隔の地との印象は拭えません。
地域外へのアクセス手段は、富山地区南端から分岐して
山越えの県道426号線で西へ向かい、
村中心部を経て国道151号(飯田・豊橋)線に出るルート。
東へは対岸の静岡県の飯田線大嵐駅を利用して南は遠州三河地方へ、
北は信州へ向かう方法があります。
みなさんと分かれて再び歩き出して間もなく、
先生に引率された保育園児4、5人のグループと出会いました。
近くに保育所もあるようです。
子ども達の声を聞いて思わず顔がほころびました。
◆佐久間ダムは幼き頃の我が心象風景
今は昔、60年近く前のことになると思います。
小学校低学年ごろかなあ、学校の巡回映画で
「佐久間ダム」というような記録映画を見たことを覚えています。
詳しい中味は忘れましたが、
タイヤがばかでかく黄色の頑丈そうな珍しい形のダンプトラックやブルドーザー。
ダイナマイトで岩盤を破壊するような場面もあったような気がします。
その記録映画で初めて佐久間ダムのことを知りました。
よほど印象的だったのでしょう。
それ以来、まだ中央道が開通していなかったころのことですが、
飯田線で豊橋方面と行き来するときには、
佐久間駅と隣の中部天竜駅の間の天竜川に架かる鉄橋で窓の外の佐久間発電所や
放水口辺りに目が向いてしまったものです。
ダムは見えない、どこにあるのだろうか?
今回の天竜川に沿ってリレーウォークで是非とも行ってみたい、
確かめてみたい場所とこだわったスポットの一つは佐久間ダムでした。
事前の情報収集で分かってきたことは、
嘗て写真で見た佐久間ダムの高い堰堤部分や水を満々と湛えたダム湖は
飯田線からは全く見えるような場所にはないこと、
中部天竜駅または佐久間駅から山道を3㎞ぐらいの山中、
車は通れるがタクシーやバスはないこと、
途中にトンネルがいくつかあるが歩道は十分ではないこと、等々がわかりました。
更に、中部天竜駅近くから佐久間ダムに通じる道路は
「静岡県道1号飯田・富山・佐久間線」であることが分かり、
ダム堰堤を対岸の西側に渡ると愛知県道1号線とつながり、
北上すれば長野県道1号線と1本に結ばれることが
具体的なイメージとして初めてまとまりました。
そこで、佐久間ダムへはこれまでのアプローチとは逆に
天竜川の下流位置に当たる中部天竜駅までは電車で行き、そこから県道1号線に入り、
山道を上流方向に遡ることにしました。
佐久間町の中心部分は
なかべ中部地区で天竜川の両岸と支流の合流によって開かれた小さな盆地にあり、
浜松市立病院、県立高校、警察署もあります。
北遠州山間地域の中心地。
狭い範囲でしたが天竜川を挟み、両岸に住宅も軒を並べていたり
商店街の佇まいも残っていたりしました。
ここから県道は直ぐ急な上り坂に入り、
中部地区の北に構える山を巻き込むように天竜川の谷奥に向かって上って行きます。
ガイダは実に頼もしく私を誘導してくれました。
この道路は佐久間ダム建設時に
飯田線中部天竜駅からダム建設現場へ資材を運搬する目的で取り付けられたとのことで、道路完成によって工事が大幅に進捗したようです。
その後、静岡県道となっています。
歩き始めて40分ぐらいのところから上り勾配のトンネルが3本断続的に続きます。
最後の少し長めのトンネルを抜けると、直ぐそこに佐久間ダムは静かにありました。
全くあっけなく感じました。
60年もの間深層意識のどこかに記録映画の一場面とともに残っていた、
あの「佐久間ダムさま」とのご対面の瞬間でした。
静かだなあ、地味だなあ、こんな場所にあったんだなあ!
特に感動というようなものは何もありませんでした。
いや、佐久間ダムについてはそのこと自体が感動かもしれません。
静岡県道1号線を上りきった山の中腹辺りのトンネルの出口が
ダム堰堤道路、
左側の分厚いコンクリート壁の直下150mは谷底、
県道部分を隔てて右側壁の向こうには
満々と水を湛えた佐久間湖が上流部に向けて延びているとのこと。
県道が通るダム堰堤の長さは約300mで
対岸の愛知県側も堰堤部分が終わると直ぐトンネルとなっています。
とにかく天竜川を挟んで山と山が迫って、
谷幅が最も狭く深くなっているV字峡谷部分を堰き止める形で
ダムを築いたことがわかります。
またトンネルとトンネルの切れ間に
ダムが深い谷底からそそり立っているといった風景かも知れません。
ダム湖は遠くまで見通しよく見えるわけではなく
入り江のような出入りを繰り返しながらくねくねと上流部へ延びているようでした。
佐久間湖に蓄えられた水は左岸の山を隧道で落下させ
佐久間駅近くの発電所でタービンを回します。
ダム右岸からは愛知県三河地方に
豊川用水として大量の多目的用水を送っている取り入れ口もあるそうです。
佐久間ダムの建設により遠くは上流35㎞の長野県天竜村の一部も含めて
愛知県旧富山村、静岡県側でも多くの集落が湖底に水没し移住を余儀なくされたそうです。
昭和30年前後に日本最大のダム建設、
戦後復興の象徴的な開発と沸かせた佐久間ダムですが、今日では平日は訪れる人影もなく、愛知県側から土砂を運び出すダンプトラックがときどき通過するだけでした。
今もなお威風堂々たる姿は保ちながらも、
あくまでも静かに眠るがごとく護るがごとくの雰囲気を感じました。
◆まとめ「県道1号飯田・富山・佐久間線」という表示について考える(私見)
全国には二つの県道が県境を越えてつながっている例はいくらでもあると思います。
しかし、3県にまたがって結ばれている例はないかも知れません。
しかも通過する各県の全線を通して
同じ県道表示を付けている例もないのではないかと思います。
私は今回この全線を歩いてみて、
「なぜ3県が共通の県道名表示しているか」という疑問が解けてきたような気がします。
キーワードは「佐久間ダム」ではないかと思います。
先ず、佐久間町中部の中部天竜駅近くから
一山超えた佐久間ダム堰堤の工事現場に建設資材や人員を送り込むためにつくられた
工事用道路が、後に静岡県道となっています。
また、ダム堰堤が完成した後か、工事と同時進行で
天竜川右岸(西側)の愛知県部分にも工事用道路が、多分、
上流に向かって延びていったのではないかと思います。
更にその延長として長野県天竜村(現在)の平神橋付近まで
これも佐久間ダム建設に関連して道路が整備されたのではないかと思います。
そしてどちらも後に愛知県道、長野県道になったのでしょう。
現在の愛知県道1号線全線と長野県道1号線の平神橋付近までは佐久間湖が延びており、佐久間ダムによる水没範囲に当たります。
佐久間ダムの建設工事が始まる前は、
深い天竜川の谷底近くの狭い平地部分に小さな集落や民家が点在していたようです。
ダム建設による水没によりこれらの多くの村民が他地域に移住を余儀なくされたのです。
これらの水没地域にあった集落と集落を結ぶ
何らかの連絡道や山道をダム湖より高い場所に新たに取り付け直すという目的と
ダム完成後の将来にわたってダムやダム湖の保全管理を目的として
国策的に取り付けられたと考えられます。
そして完成後に3県にそれぞれの区間の管理を割り当てたのでしょう。
実際、ダム完成後は富山地区を除けば生活道路としての利用はほとんどなく、
専ら佐久間ダムと佐久間湖管理道路の色彩が強く、
稀にマニアックなライダーやドライバーが訪ねて来るだけです。
次に、どうして「県道1号」と1番をあたえたのでしょうか?
これは全く独断と想像ですが、
ここでは「1」という数字は
最初にして唯一で最後の番号として
分かりやすい1という数字をつけただけのことではないかと思います。
このような事例が他府県にあるか分かりませんが、
こんな3県にまたがるような特殊な場合は
優先的に1番を付けるというような国段階での目安があるのでしょうか?
「飯田・富山・佐久間線」についてですが、
これらの地名は県道1号線の起点、経由地、終点の地名です。
ここでの「飯田」は明らかにこじつけで、
実際に則して表記するとしたら
長野県天竜村にある「平岡」とするのが正しかったのではないかと考えます。
キーワードである「佐久間ダム」との関連から考えても
「飯田」というような地名はほとんど意味がなく不適切です。
県道1号飯田・富山・佐久間線は全線延長距離が約92㎞となっていますが、
その内約50㎞は
本来の目的の佐久間ダム関連道路として共通表示を与えることも理解できますが、
起点の飯田市しも下ひさ久かた堅から南へ40㎞ぐらいの区間は、
私に言わせれば、こじつけ県道ではないかと思います。
現行表示より正しいと思われる表示として、
「○○県道1号平岡・富山・佐久間線」とすべきではないかと思います。
『県道1号線を行く』おわり
《写真》
小和田駅・富山地区中心部
・佐久間ダム堰堤部・佐久間ダム右岸のうなぎだるトンネル入り口
連載本ほどステキなものはない!②『核大国ニッポン』池田純
◆『核大国ニッポン』
堤(つつみ)未果(みか)著・小学館新書・2017年8月
堤未果さんは、参議院議員の川田龍平氏の妻として、週刊誌をにぎわすこともありますが、現代アメリカ社会を書かせたらその視点はあくまで鋭く、
妥協を許さない分析のできる気鋭のジャーナリストです。
著書には、『ルポ・貧困大国アメリカ』(3部作、岩波新書)、
『沈みゆく大国アメリカ』(2部作、集英社新書)等があり、
多額の借金をして大学に通うアメリカの大学生、
アメリカが主導して進めながら、大統領が代わったとたんに撤退してしまったTPPで、
アメリカの自由診療のシステムを日本に押しつけ、
アメリカの医療産業の利益を図ろうという魂胆を活写してきました。
本書は第1章では、アメリカがコソボ・湾岸戦争・イラクで使った
劣化ウラン弾によって、コソボ・クエート・イラクの人々が苦しみ、
参戦したアメリカ兵も放射能を浴びたことによる深刻な後遺症のため
まともな市民生活ができなくなっていることを紹介しています。
劣化ウラン兵器は、原子力発電所から出た放射能を帯びた、いわば核のゴミを
兵器に転用することで、核のゴミを処分できるという一石二鳥の兵器です。
そして、劣化ウラン弾による後遺症は、アメリカ政府は認めていないことから、
訴訟を起こしても敗北してしまい、
放射能汚染に悩まされる元兵士も団結することができず、
孤立してしまっています。
第3章では、プラハ宣言として、
核のない世界をアピールしたオバマ大統領の矛盾した主張を分析します。
肥大化したアメリカの軍事産業は、世界の兵器ビジネスの中で68%を占め、
オバマ自身も「私の生きている間の核兵器廃絶は不可能」と言っているのです。
加えて国際的な反対の声を押し切って
臨界前核実験も「核兵器の管理のために必要」と繰り返しました。
そして、著者が強調するのは、歴史的事実を政治的に利用することではなく、
真実に対して正面から向き合うことです。
その歴史的事実とは、広島と長崎に落とされた原発であり、チェルノブイリであり、
烈化ウラン弾に汚染されたコソボであり、
イラクの人々が直面している放射能の及ぼす健康被害です。
この歴史的事実を伝えるために、中沢敬治の「はだしのゲン」が、
戦争を統計的な数字のかたまりではなく、血の通った人間の営みの中にとらえていること。
ドキュメンタリー映画『カウントダウンZERO』が訴える
核に関して今世紀人類が直面する三つの脅威として、
〈判断ミス〉〈狂気〉そして〈事故〉の三つがあるとして、
強い警告を発していることを紹介しています。
信濃美術館はどこへ池田純
信濃美術館は、2021年の開館を目指し、
2018年の2月基本設計案、9月に実施設計案が発表される予定です。
これまでの動きを振り返ると、
2017年の6月25日、プランズアソシエイツに設計者が決まり、
9月12日、長野市で障害者向けのワークショップ、
10月28日、第2回県民フォーラムが開かれ、基本設計素案の説明がありました。
長野県ハーネスの会としては、6月に建物のバリアフリー・展覧会の情報提供・
対話型鑑賞等の要望をまとめた文書を提出し、
ワークショップでは「視覚障害者にも楽しむことのできる常設展示・
点字や音声によるキャプション(作品説明)」等を強く訴えました。
信濃美術館は、東山魁夷館と合わせて12000㎡の規模の物が計画されていますが、
善光寺、城山公園と一体となった再整備が考えられています。
長野市の中央通りの突き当たりに善光寺の大門があり、大門を入ると仲見世、
その先に本堂があります。
本堂から右の方向に行くと、城山公園があります。
従来は公園に入ってから奥まった所に信濃美術館と東山魁夷館があった感じですが、
新しい美術館は善光寺との一体感を出し、交差点を渡るとすぐエントランス広場、
誰もが自由に使える県民ギャラリー・交流スペース、
そして美術館本館へとつながるようになります。
また、市内循環バスのぐるりん号も乗り入れ、
近くに停留所を設けて公共交通機関のアクセスを確保します。
設計素案の中で、視覚障害者にも関連のあるものとして残っているのは、
「敷居の低い」「子供と訪れたい」「みんなと同じ場所で」「触れる作品」
「夜間営業」「学び」「夜も安全な公園」「音楽イベント」「ぐるりんバス」
「しゃべってもいい」等ですが、
これまでの美術館のイメージとはかなり異なるものになりそうとの期待が持てます。
特に、県民フォーラムの中でプランズアソシエイツの宮崎浩氏が
「仰向けでしか暮らせないお子さんを持つお母さんから
『そんな子にも楽しめる美術館を』との要望があり、
プロジェクターで天井に映像を映すようなことも考えたい」との発言があり、
実現したら世界にも誇れる美術館になりそうです。
事務局から
◆盲導犬ユーザーと引退犬ボランティアの皆様へ
疾病治療費支援の申請をされる方は、
2018(平成30)年1月20日までに申請書類をお送りください。
申請対象期間は、2017(平成29)年1月1日から12月31日までです。
疾病治療以外のフィラリア予防薬・ワクチン・爪切り・シャンプーなどの費用は、
申請の対象となりません。
申請書類の送り先は以下のとおりです。
〒390-0802
長野県松本市旭2-11-45
「ふれっ手」内
長野県ハーネスの会担当前野弘美
※申請書類が必要な方は、事務局までご連絡ください。
書類のデータをメールに添付してお送りします。
※盲導犬・引退犬について、引退・代替え・死亡など、状況に変化がありましたら、
速やかに事務局までご連絡いただきますようお願い申し上げます。
◆募金箱の管理をしていただいている会員の皆様へ
募金箱の集金をしていただいた際には、領収書と感謝状をお送りしますので、
募金箱設置者のお名前とご住所をお知らせいただきますようお願い申し上げます。
以上、事務処理がスムーズに捗りますように、皆様のご協力をお願い申し上げます。
事務局担当加藤久美
E-mail:jimu@harness-nagano.com
編集後記
2017年12月号が今頃お届けすることになってしまい、大変申し訳なく思っています。
年末・年始が重なり、更に孫の誕生で思うように編集作業ができませんでした。
深くお詫びいたします。
さて、前号に引き続いて編集後記の部分が長くなってしまったので、
今回は「猫」のことを少し書きたいと思います(ハーネスの会なのに!ですが)。
最近のニュースによると、犬と猫の推計飼育数は、
猫が953万匹(前年比2.3%増)に対し、
犬は892万匹(同4.7%減)。
1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回ったそうである。
我が家にも2匹の猫がいる。
名古屋在住の娘の家には3匹。
盆暮れにはその3匹も連れてくるので、家は猫屋敷のようになる。
全員猫好きなのだが、この「猫派の人は…、犬派の人は…」という説、
血液型占いみたいに日本だけの話かと思ったら、そうでもないらしい。
カリフォルニア大学バークレー校と州立大学イーストベイ校の科学者たちが
ネットを通じ1000人以上のペットオーナーにアンケートを取ったそうである。
その結果によると、
猫好きな人は「クリエイティブ志向」「大胆で冒険好き」「心配性」。
犬好きは「外交的・社会的」「安定志向」「冒険をしない、リスクを避けたがる」
だそうだ。
日本でも勿論色々ある。
個人的に気に入ったのは、『苦手な人に対する態度』の項目で、
犬派「不快感を全面に出す」猫派「真っ先に逃げる」。
思わず笑っちゃいました。
そんな訳で(どんな?)今年もよろしくお願いします。
(片山)

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